気づきの伝道師 藤井一規です。
自分ならではのものってありますか?
今日は、粋(いき)を通して、「自分ならでは」について考えていく。
<ブログ>
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この記事の目次
「粋(いき)について私はこう考えている。
どんな事態になってもそれを面白がってしまうこと。
そういう心の持ち方」
by山口 瞳 (小説家)
粋だね!って言われたら、褒められた気持ちがするけれど、
具体的になんなのか、はっきりわからないかも。
「粋」について考えていくと、何か発見があるかもしれない。
<「いき」とは?>
どうやら「いき」は江戸時代に成立したと言えそう。
しかし、江戸時代にいきなり現れたのだろうか?
今は、「いき」は「粋」と表記されているけれども、
それは明治時代になってからで、
江戸時代は「意気」が使われていた。
心意気とか、意気盛ん、というった言葉が「いき」にはマッチする。
心構えや、心の持ち方、そして美意識が重要視されていると言っていい。
不要なものを除き、さっぱり、すっきりした感覚があり、
引き算の美学だと言ったりする。
「息(いき)」を「吐く」ことに結び付けて説明されたりする。
ところが、江戸の「いき」では目立たないさりげないところに、お金を掛けたりする。
幕府の質素倹約というお達しに対し、表向きは質素に、
しかし実は着物の裏地に凝ったりしていた。
どこかに、自分ならではのこだわりを持っていたと言える。
<「すい」とは?>
江戸に対し、京都・大阪をはじめとする上方では、
「粋(すい)」を大切にする文化があった。
突き詰めたり、究極を目指し、
純粋とか、選りすぐりのものを良しとしていたりする。
また、息を「吸う」ことと結びつけて、
自分の周りにあるもの全てを取りこんでいくような、
足し算の美学だと言ったりする。
さまざまなことを取り入れて、
究極のものを創りあげていく、そんなところがある。
それもまた、自分ならではのものを求めていると言える。
<一つに>
ほどんど対をなすようなこれら二つを
明治において合せるように表現するという、
不思議なことが行われた。
「いき」を「粋」と表すようになったのだ。
誰が、どのように考えてしたのだろう?
それとも、深く考えることなく、行われたのだろうか?
しかし、それが日本全体に浸透してしまうところがまた、
日本の特徴かも知れない。
いずれにしても、粋(いき)は美意識であったり、心の持ち方を示した、
日本の文化を示している。
<あなたの粋とは?>
あなたにとっての粋とは、どんなものだろう?
自分の目指す美意識や、心構えがあるって素敵なこと。
今日の言葉では、どんな事態になっても
おもしろがってみることを粋だと捉えている。
もし、大変な事態だったり、酷い事態だったりしたら、
慌ててしまったり、わけがわからなくなったりする人が
大多数になってしまうことがあるかもしれない。
そんなときに、おもしろがるなんて不謹慎だ、
と考える人もいるかもしれない。
しかし、大変な事態だからこそ、変革のチャンスがあったりする。
そのためには、意識を嵐の渦中から外れてみることも大切。
そして、おもしろがることで、
心にゆるみができ、発想を拡げる余裕ができたりするのも事実。
<粋を持とう>
どんな粋であってもいい。
自分ならではの、美意識、心がけ、心の持ち方を持ってみたい。
もちろん、一度作ってもそれが絶対というわけではなく、
必要に応じて見直していけばいい。
自分なりの、自分ならではのものを持っているって・・・
なんだか素敵だと思いませんか?