気づきの伝道師 藤井一規です。
経験を積むということは、どういうことだろうか?
単にできる、という状態とはどう違うのか。
今日は、経験が生み出してくれるものについて考えていく。
<ブログ>
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この記事の目次
「経験というのは、単なる時間の積み重ねではなく、人を感じる眼であり、耳であり、皮膚感覚なわけだ」
by 松田優作(役者)
単に「何かができる」という状態と、「経験を積んだ」状態とでは
どんな差があるのだろう?
経験を積むことに、どんな意味があるのか、
しばらく、考えていきたい。
<できるか、できないか>
何かをするとき、多くの場合はできるか、できないかを問題にするだろう。
フィギュアスケートのシーズンが始まり、
素晴らしい技の数々を見ることができるようになった。
男子では、4回転トゥーループができたとか、できなかったとかにまず意識がいく。
採点も、まずはこうした技の成否、出来栄えにまず意識がいく。
お茶の世界でいうと、
***のお点前ができるとか、できないとかといったことに
まずは意識がいく。
<技の習得の先>
どんな技ができるようになるか、
もちろん、そうなるためには練習をし、
必要な身体を準備し、心を整え、大変なこともあったりする。
それでも、充分努力していくことで、
その技を実行するためのベストの条件を整えておけば、
同じようにやれば、同じようにできるようになったりする。
ここで一定の満足が得られる。
しかし、この段階満足しきってしまうと、
大会では勝てなかったり、人前ではうまくいかなかったりする。
<経験の大切さ>
その原因の一つは、実際にはベストの条件がいつもあるわけではないからだ。
フィギュアスケートであれば、リンクの氷は
場所により、日により同じではない。
温度も、整備の仕方も違うので、滑りやすさも違っている。
どんな氷のときに、どう対処すればよいか、
頭で学んでも身体が実現できるというものではない。
さらに、自分の前の選手が演技で氷に傷をつけているだろうし、
自分の身体、心の状態も同じではない。
お茶であっても、普段とは違う道具や、違う場所ですることになるので、
いつもの場所の感覚だけではうまくいかなかったりする。
また、練習のときには経験したことのない、
思わぬ事態がおきたりすることがある。
そんなとき、経験がないとあせってしまうもの。
<経験がくれるもの>
経験を積んでいれば、いるほど、
本来とは違う状況が起きても、
「何を大切にすればよいか」が「感覚」でわかってくる。
もちろん、どれほどやっても、全ての想定外の事態を経験することはできない。
しかし、「何を大切にすればよいかが、感覚でわかる」ようになれば、
これまでの体験をもとにして、
落ち着いて対処することができる。
それにはやはり、単純なことに思われようとも、
繰り返し、繰り返し、実践し、経験を積んでおくことが重要になる。