気づきの伝道師 藤井一規です。
普段どちらかといえば、何かをすることのほうに注目がいくものだけれど、
やらないこと、「ノー」を明確にすることも大切なことだと言われる。
今日は、「ノー」を明確にすることについて考えていく。
<ブログ>
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この記事の目次
「『ノー』と言うべき時に言えない人は自分を不幸にする」
by サミュエル・
あなたは、どんな「ノー」を持っているだろうか?
「ノー」を明確にすると、何が得られるのだろう?
しばし考えていきたい。
<「ノー」が言えない>
自分の意思をはっきり示すことができない子供が増えたと言われる。
本当は嫌だと思っていても、
つい周りの仲間や、親兄弟の顔色を窺って、
仲間外れにならないように、嫌われないようにしてしまうのだという。
誘われるまま、声を掛けられるままズルズルと付き合ってしまったりする。
「ノー」が言えないと、
嫌な時間を過ごしたり、面倒に巻き込まれたりすることも多いのだが、
孤立を恐れたり、感じることを止めてしまったりするという。
<「ノー」が示すもの>
「ノー」と言うことは、
何をあきらめるのか、自分から切り離していくかを決めているということ。
自分のことや、自分が目指すものがわかっているということであり、
それを相手に明確に示すことができるということだ。
「イエス」で求めるものを明確にするという方法もあるけれど、それは
「イエス」以外のものにも取り組む可能性を残している。
「ノー」で示すと、「ノー」の部分には関わらないことになり、
それ以外に集中して、効率が上がりやすくなる。
<「ノー」と言うとき>
うれしいこと、やりたいことに「イエス」と声にだしてみる。
嫌なこと、やめたいことに「ノー」と声に出してみる。
どんな感覚の違いがあるだろう?
「ノー」と言うときのほうが、
体重が地にかかり、肚に力が入ることに気がつく人が多いのではないだろうか。
自分の強い意思がそこにあるという感覚が生まれてくる。
「ノー」は、あなたの意思を確認し、示す機会になっている。
<「ノー」が与えてくれるもの>
「ノー」と言うことは、周りにもあなたの強い意思を示すことになり、
あなたを振り回したり、悩ませたり、苦しむ機会を減らしてくれる。
次からはやって来にくくもなる。
もし、「ノー」が言いたいのに、ズルズルと言えずにいるのなら、
そろそろ、肚を据えて「ノー」を告げたい。