気づきの伝道師 藤井一規です。
あなたは友人とどんな話をしているだろうか?
人の不幸は蜜の味などと言うが、
誰かの悪口、批判に偏っていたりしないだろうか?
今日は、どんな人をめざし、どんな友を持つべきか、うわさ話をもとに考えていく。
<ブログ>
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この記事の目次
「見えないところで友人の事を良く言ってる人こそ信頼できる」
by トーマス・フラー(英国の聖職者、歴史家)
人は芸能人のゴシップをはじめとして、他人の不幸やうわさ話が好きだったりする。
しかし、そういう話ばかりしている人をよく見ていると、
本人はそれほど幸せにしているようには見えない傾向がある。
それはどうしてなのか?
<他人のこと>
深く考えるまでもなく、
うわさ話は、他人のことについて話をしていること。
自分が幸せになるためには、自分がいかにあるべきか、どうしてくか
について考え、行動していく必要があるのだから、
他人のことを長々と話しているということは、
より重要な自分のことに掛ける時間が失われているかもしれない。
<真偽の確認>
うわさ話ということは、他人の言うことや
流布されていることを基にしている。
事実とは違っているかもしれなくとも、
自分で確認しないまま拡散していたり、
何を意味しているのか、考えずに反応していたりする。
<自分で考える>
周りに流されることを習慣にしていると、
自分で考え、自分で判断することを忘れてしまいがちになってしまう。
誰かの偏った考え方に基づいて生まれたかもしれないことを
無批判に受け入れてしまっていいのだろうか?
<うわさは肥大化する>
うわさは伝わるうちに、どんどん拡大解釈されたり、歪んでいってしまうもの。
おもしろいかもしれないが、実体のないものに時間をかけてしまい、
本当に掛けたいことへの時間を費やしてしまうのはもったいないかもしれない。
<疑念>
こうしたうわさ話、とくに悪口を言う人がいたら、
自分のこともどこかで悪く言われてしまうかもしれない。
親しい友人なら大丈夫。と思うかもしれない。
しかし、仲が良いうちは問題なくても、
もし、仲違いするようなことが起これば、そのときの被害は計り知れない。
ということを考えると、付き合うのは遠慮した方がいいかもしれない。
<素晴らしい点を語る>
付き合っていくなら、自分の言葉で語る人。
他人のことを話すなら、他人の素晴らしいところ、
より深いところに思いを寄せて語っている人にしたい。
人を尊重しようとすれば、表面のことだけを捉えて、
短絡的にうわさを流すというわけにはいかない。
それに素敵なところに注目できるって素晴らしい。
それは、自分が素敵であろうとしている意識の表れでもある。
そんな人になっていきたいし、そんな友をもっていきたいもの。