気づきの伝道師 藤井一規です。
私たちはつい、***でなければならない。と考えがちなもの。
自分らしくなければ、幸せでなければ、前向きでなければ・・・
しかし、それは本当なのだろうか?
今日は、満たされた人生の送り方について考えていく。
<ブログ>
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この記事の目次
「人の世に道は一つということはない。道は百も千も万もある」
by 坂本龍馬(江戸時代末期の志士、土佐藩郷士)
どんな人生を送りたい?
と聞かれたら、何と答えるだろうか?
様々な答えの可能性があるけれども、
知らず知らずのうちに、その答えでなければならないと思っていたりする。
<目的地はひとつでも>
目指すところをひとつに定めたとしても、
そこにたどり着く方法は、いくらでもある。
この方法しかない!と思っていると、苦労多くして実りが少ないなんてことになる。
ゆっくり着実に歩いていくのもいいし、走ってもいい。
自転車やバイク、自動車のような乗り物を使ってもいい。
まっすぐ行っても、遠回りしてもいい。
高速で行っても、のんびり行ってもいい。
海や川を使っても、空から行ってもいい。
実現する道程は、いくらでもあるはず。
<目指すところも>
目指すところも、一つである必要はない。
どこを目指してもOKなはずなのに、
目指す場所を決めてしまうと、そこに行き着かなければ、
いけないような気持ちになってしまいがち。
目指すところは、物理的な場所のことではなく、
自分が満たされた状態になれることのはず。
もちろん、目標の場所を定めて、そこに到達することも、
達成感を得られることだろう。
しかし、そこに到達できなくても、目指して進んでいれば、
自分が満たされた状態になることはできるはず。
<歩みの中にも>
日々の進みゆくプロセスの中にも、
喜びや、満たされた状態を体験することができる。
心地よい風が吹いてきたり、
美しい花や、素敵な誰かと出会ったり。
結果がすべてではなく、日々のなかにも
満たされることがきっとある。
道に迷うことも、分かれ道で悩むことも
後から思えば、ただ何事もなく過ぎるよりも、
却って想い出に残るもの。
<ひとそれぞれ>
人生にこれだけが正解、というものはない。
どちらかといえば、どれもが正解であり、貴重なもの。
せっかくの貴重なものを、大事に扱えない方が残念なこと。
たくさん得られるとか、少ししか得られないとかの量の問題ではないし、
こっちのほうが美しいとか、良質とかといった質の問題でもない。
ほんのわずかな量であっても、たとえ質は良くなくても、
得られたことを喜ぶ気持ちは同じように得られる。
誰かや、何かと比べる必要はない。
自分らしく進みゆけば、満たされた人生は得られるもの。