気づきの伝道師 藤井一規です。
人生を進みゆくうちに、抱えるものが増えていく傾向がある。
子育てが終わり、定年を迎えたりして、いろいろな荷が解かれていくまでに疲れ果ててしまう人も多い。
今日は、重荷を賢く手放していくことについて考えていく。
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http://shitsumon-alacarte.com/mental/11107/
この記事の目次
「持たなくてもいい重い荷物を、誰に頼まれもしないのに一生懸命ぶらさげていないか」
by 中村天風(日本の思想家、教育者、著述家)
ひとは知らず知らずのうちに、抱えるものが増えてしまう傾向がある。
身軽になることで、すっきりしたり、楽になることができたりする。
どのようにしていけばよいか、もうすこし考えていきたい。
<責任>
報酬を得るために仕事をするということは、
引き受けたことに対して、責任が発生している。
そして、その責任を果たそうと、頑張ったりするもの。
ときにその責任はとても大きく感じられるものになったりする。
例えば、責任の範囲内で、なにかトラブルが発生し、
お客様に迷惑がかかってしまったときなど、
心に責任がのしかかり、強いストレスにさらされたりする。
たとえ、あなたが原因ではなくても、
自分に責任があると「思い込んで」いれば同様だ。
<責任範囲>
どこまでを責任範囲と考えるかは、ひとそれぞれ違っていたりする。
目の前で問題が起きているのに、
自分の責任範囲ではないからと、無視したり
冷たく突き放せばよいとは言わないが、
自分が「全て」しなくては、必要以上に「急いで」何とかしなくてはと、
抱え過ぎてしまうのは考えもの。
ストレスに弱い人は、ちょっとしたことに、ものすごく慌てる傾向があったりするし、
また、ブラック企業やブラックバイトの被害者は、責任を感じやすい、実直な人の方が多い。
<冷静に判別してみる>
では、どのようにして余計な重荷を下してゆけばよいのだろう?
試しに、自分が持ち歩いているカバンの中身を一度すべて広げてみる。
すると、ほとんど使ったことのないものが入っていることに気づく。
出し忘れているようなものがあったりもするし、
過去に一度役に立ったからと、それ以来いつまでも持ち続けているものや、
もしもに備えて過剰なものがあったりする。
必要だと思って毎日のように持ち運んでいる荷物でさえ、
持たなくても良いものがいっぱいある。
また、自分で持たなければと思っているものでも、
他のひとに聞くと、持ち運ばなくても用意されたものが既にあったり、
いや、それを持ち運ぶのは私の責任だと言うかもしれない。
<思い切って手放す>
まあ、持っていてもいいかな。と思うことでも、
試しに思い切って持たないようにしてみる。
すると、自分で持っていなくても、大抵はなんとかなったりする。
反対に、これはやっぱり必要、というものが明らかになったりする。
これは、いつものカバンの荷物に限らず、
こうしなければ、こうすべきと思っていることも同じ。
過去には役だったが、今は役に立たないもの多いはず。
ここらで一度、頼まれたわけでもなく、持つ必要もない重荷を
背負い、心を身体に過剰な負荷をかけていないか、確認してみてもいい。