気づきの伝道師 藤井一規です。
自分の方が正しいと、主張したくなるときがある。
しかし、そのことによって、他の誰かを傷つけてしまうことがあることに
気がついているだろうか?
今日は、正しいことを主張したくなったときの処し方について考えていく。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/11379/
この記事の目次
「正しいことを言うときは、少しひかえめにするほうがいい。正しいことを言うときは、相手を傷つけやすいものだと気付いているほうがいい」
by 吉野 弘(詩人「祝婚歌」より)
正しいことを正しいと主張することは、大切なこと。
しかし、正論を言っているだけだと、却ってひどい結果を招いたりする。
どういうことなのか、もう少し掘り下げていきたい。
<正しさ>
セミナー中に、あきらかに間違いと思われることを講師が言ったとき、
参加者がその場で「いや、それは間違っています!」と正面切って指摘したことがあった。
指摘した方は、他の参加者が間違ったことを憶えては問題だ!と考え、
正義感に燃えたのかもしれない。
しかし、指摘した方の主張が正しいのだとしても、
講師によっては、恥をかかされた!とか、
本筋のところでもないのに、セミナーが台無しになった!とか
プライドを傷づけられた!
と恨みをいだいたりするかもしれない。
正しさ、というやつは人を傷つけることがあると知っておきたい。
<正しさの恐さ>
正論ばかりを言う人は、嫌われてしまいがち。
正しいことをしたくても、出来ない事情があったり、
やっても得られることは、ほどんどないのにもかかわらず、
正論を盾に押し切ってくる人は、ちょっと遠慮したくなる。
そう、正しさは、必要以上に相手を追いつめてしまったり、
逃げ道をなくしてしまったりする。
つい批判ばかりとなって、相手を攻撃する道具として使われやすいし、
上から目線で、相手を見下そうとするときに
正しさが持ち出されたりしやすい。
<正しさの恐さを知って>
正しさを持ち出すときは、
正しさには強さ、鋭さがあり、使い方によっては恐ろしい
ということを知り、いきなり相手を切りつける必要はないことに気づいておきたい。
思いつくまま、気の向くまま、むき出しの
日本刀のような正しさを振り回しているひとがいたら、
だれも近寄っては来なくなってしまう。
もちろん、正しさを無視したっていい、ってことではない。
望ましい方向に向かって、近づいて行こうという気持ちに
自然になれるようにしていきたい。
<どう活かすか>
正しさは、鞘に納めておいて、そこに日本刀があるよ、
と知らせておくだけでも効果がある。
ときには、刀袋だけを示すだけでもよかったりする。
ここにこんな正しさがあるけれども、
どう思うか?どうしていこうか?
どうやって、よりよくしていけばよいか?
こんなふうに、共に考えてみていもいい。
全く迷ってしまっているようなら、方向性を示すことがあってもいい。
正しさは、相手を傷つけたり、追い詰めたりするためではなく、
あなたが伝えたいことの後ろ盾として、
相手に考えてもらうほうがいい。