気づきの伝道師 藤井一規です。
好き嫌いはどうやって決めているのだろう?
その境目は、かなりあいまいなものだったりする。
今日は、好き嫌いの克服について考えていく。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/11532/
この記事の目次
「好き嫌いっていうのは、信用していないです。やっていたら、好きになるんじゃないですか」
by 柳井 正(実業家)
これは嫌いだから、といって取り組まなかったり、
食べず嫌いになっていたりしないだろうか?
どうやって克服していけばよいだろう?
<好きか嫌いか>
私たちは、好きか、嫌いかをどのように決定しているだろう?
遺伝的要因からきていることもあるだろうが、
多くは後天的な、経験から、直観的に決めていたりする。
嫌いなもの、好きなものには明確な理由があって、
考えて判断しているように思うかもしれないが、
実はそうではないらしい。
<心理実験から>
こんな心理実験がある。
2人の人の写真を見て、より好きな方を選ぶ。
そして、その写真を渡しながら、より好きな理由を説明してもらう、というものだ。
2人の写真を見せ、より好きな方を選ばせた後、
選んだ写真を渡すふりをして、選ばなかった方の写真にすりかえて渡す。
そして、より好きな理由を説明してもらうと、多くの人は
好きではなかったはずなのに、すらすらと説明してしまうのだという。
また、好きなもの二つのうち、
ひとつしか選べないような場合に、選ばなかった方について、
以前よりも好きではなくなってしまうという。
<好き嫌いは無意識のうちに>
どうやら、より好きだと選んだひとなのだから、好きなはずだ。
それには好きな理由があるはずだ。
反対に、より好きだと選ばなかったものは、
好きじゃないから選ばなかったのだ。
と判断するように人はできているようなのだ。
また、選んだと認識したタイミングと、視線の動きを確認してみると、
実際にこちらにしようと意識するよりも先に、視線が固定されていることがわかってきた。
好き嫌いは無意識による決定がかなり大きな要素となっている。
ということは、
相手のことをよくわからないうちだったり、
ちょっとした比較の結果で好き、嫌いを決めてしまっているのだ。
<良さがわかれば変わる>
仕事でも、やりたくて始めたのではないが、
やっているうちに面白さ、楽しさ、奥深さに気づいたりすることは多い。
直観的に避けていたことでも、
対象の素晴らしさ、良さがわかれば、判断は変わっていく。
これ以外はしない!という考え方がいけないというわけではないが、
自分の世界を狭く、小さくしてしまっているかもしれない。
<経験のやり方>
もちろん、経験してみて、
やはり嫌だったということもあるかもしれない。
ただ、試すときに、嫌だ、嫌だ、と思いながらだと、
嫌に違いない・・・という思い込みが働き、
ちょっとしたことでも、「嫌」に結び付けようとしてしまいがち。
無理に頑張った状態というよりは、
自然に試してみようという気持ちになったり、
少しずつ慣れていったりするうちに変化が起きていきやすい。
好き嫌いだけで、自分の世界を狭く、小さく制限するよりは、
慣れ親しむ中で、自分の可能性を拡げてみるというのもありそうだ。