気づきの伝道師 藤井一規です。
自分は何のために生まれてきたのか?
誰もが一度は考えることかもしれない。
今日は、生まれてきた意味について触れていく。
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この記事の目次
「天生我才必有用(天が私を生んでくれた以上、必ず世の中の何らかの役に立つためである)」
by 李白(中国の詩人)
天、我が材を生む。必ず用有り。
天が私を生んでくれた以上、必ず世の中の何らかの役に立つためである。
という意味である。
それって、本当だろうか?
李白のこの有名な言葉を通じて、
生まれてきた意味について、しばし考えていきたい。
<生まれてきた意味>
あなたが生まれてきたことに、どんな意味がありますか?
そんな質問に出会ったら、あなたは何と答えるだろうか?
いっぱい答えを出す人もいる。
う~ん。。。と考え込む人もいる。
なかには、生まれてきたことに意味なんかなく、
ただ、生物学的に発生してきただけ、そう考えることもできる。
いや、そんなはずはない、なんらかの意味を持って生まれてきたのだ!
と考え、その意味を見出そうとする人もいる。
あなたは、どう考えているだろうか?
是非書き出してみたい。
<その答えは>
答えてみて、他の人の答えを聞いてみて
まず気づくのは、出てくる答えが本当に様々だ、ということだ。
ひとそれぞれ、全く違っていたりする。
もちろん、意味なんてないよ。という答えも含めて。
答えが、これほどバラバラになるということは、
誰もが認める正解、というものがないことを示している。
答えは、人それぞれにあるということだ。
だって、ひとり一人が違うんだから、
答えも違ってくるのは当たり前じゃない。
と考えることもできる。
しかし、もう一つの有力な考え方が浮かび上がる。
実は、生まれてきたことそのものに意味があるわけではなく、
意味を自分が感じ取っていたり、自分で与えていたりするのではないか?
ということだ。
<生まれてきた意味探し>
生まれてきたことに意味を見つけ、
このために生まれてきたんだ!
という気持ちになれたら、人生に価値を感じることができる。
だから、その意味を見つけようとする人は多い。
多くは、その正解を求めようとして、探しつづけたり、
迷い続けていたりするけれど、
どこかに正解がある、というものではなく。
自ら自分の人生に意味を感じ、与えていくことこそが、
大切なことなのではないか?
<事実そのものには意味はない>
よく、どんなことが起きても、
考え方、捉え方次第だと言われる。
例えば、宝くじに当たったとする。
なんて幸運なことだ!と考える人もいれば
あぶく銭を持って身を滅ぼすぞ、と考える人もいる。
何か不運があって失敗をしたときに、
なんてついてないんだ!と考えることもできるが、
今はその時期ではないよ、というメッセージかもしれない。
と考えることもできる。
そう、事実そのものに意味があるわけではなく、
事実に意味を与えているのは、私たち自身なのだ。
<あなたの生まれてきた意味>
生命を授かったということも、ひとつの事実。
だから、生まれてきた意味は?
という問いに対して正解がある、というよりは、
どんな答えにするかは、あなたが決めることができると言える。
そして、どんな答えにしたいかを考えたとき、
そう言える人生にするために、どうしていけばいいかがあきらかになっていく。