気づきの伝道師 藤井一規です。
初心忘るべからず。
誰もが一度は聞いたり、言ったりしたことのある言葉ではないだろうか?
最初の純粋な思いを忘れないようにといった意味でつかわれることが多いが
元々の意味は違っているのだという。
今日は初心について考えていく。
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この記事の目次
「初心忘るべからず」
by 世阿弥(猿楽師)
初心と聞いて、何を思い浮かべるだろう?
初々しい心をイメージするかもしれないが、
世阿弥が伝えたかったことは、違っているのだという。
今一度、この言葉の意味を考えていきたい。
<初心>
大辞林によると、初心とは、
1.何かしようと決心したときの純粋な気持ち。 「 初心にかえる」
2.学問・技芸などを習いはじめて間がないこと。初学。 「 初心の人」
3.物事に慣れていないこと。世慣れないこと。
とある。
初心と聞いてまず思い浮かべるのは、
1.の純粋な気持ち、ではないだろうか?
しかし、世阿弥の伝えたかったことは、
より、2.や3.を意識しているようだ。
<世阿弥の初心>
世阿弥は、次のように言っている。
「しかれば当流に万能一徳の一句あり。
初心忘るべからず。
この句、三ヶ条の口伝あり。
是非とも初心忘るべからず。
時々の初心忘るべからず。
老後の初心忘るべからず。
この三、よくよく口伝すべし」
どうも初心はひとつではない。
学び続けるうえで、区切りごとに現れてくるモノと考えられる。
<謙虚な思いを>
誰にでも最初があり、
なかなかうまくできなかったりする。
そのときの口惜しさや、謙虚さを忘れず、
精進を続けることを意識している。
ある程度できるようになってくると、
慢心をしたり、自分はもうできると高をくくってしまうことがある。
どんなときでも、自分の芸の未熟さを思い知ったあの時を忘れずに。
という意味の方で世阿弥は使っていると考えられる。
<成長段階ごとの初心>
一般に使われる初心よりは、
痛みとして心に刻まれたモノ、戒め的なものを意識している。
また、それぞれの段階においても、新たなことに取り組むときは、
やはり同じように、学びの姿勢を忘れずに。
そしてそれは、老後においてもあるのだと。
<あなたの初心>
初心には、純粋な思いという面と、謙虚さ、戒めという面がある。
その両面があることを知って、
この言葉を意識してみると、
新たな気づきが生まれるかもしれませんね。