気づきの伝道師 藤井一規です。
私たちは、欲しい結果を得ようと、努力している。
一生懸命、実を成らせようとしていると言える。
美味しい実を得ようとすることは大切だけれども、
それだけに心を奪われていると、肝心なことを見落としたりもする。
今日は、実を得ようとすることと種を蒔くことについて考えていく。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/11871/
この記事の目次
「樹木にとって最も大切なものは何かと問うたら、それは果実だと誰もが答えるだろう。 しかし実際には種なのだ」
by ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(独の詩人、劇作家、小説家、哲学者、自然科学者、政治家、法律家)
誰もが美味しい果実は得たいと思う。
どのようにして得ていくか、少し考えていきたい。
<美味しい果実>
果実を手に入れたら、美味しい果肉を楽しむだろう。
多くの、質の良い果実を手に入れようと私たちは努力している。
そして、果実を食べるときには、種のことは忘れ去られてしまいがち。
種の重大性を意識する人は、
自分で果実を生み出す木、そのものを増やそうと考える人だけだ。
美味しいところをいただくことだけを考えていると、
種はそのまま捨てられてしまうことになりがちだ。
<種から始まる>
どんな大きな樹木でも、始まりは小さな種だったりする。
私たちは、種を蒔いて初めて始まることを忘れがちだ。
蒔いた種も、芽が出るとは限らない。
芽が出る条件が整えておく必要がある。
整えたつもりでもうまく芽が出ないこともある。
芽が出さえすれば放置しておけばよい、というものでもない。
出た芽をさらに成長させるための努力や工夫がいったりもする。
肥料を与えたり、受けたダメージを治したりすることが必要な場合もある。
そして種類によっては、実がなるまでに何年も、何年もかかるものだってある。
「桃栗3年、柿8年、ゆずのおおばか18年」といわれるように、
ゆずは、初めて実をつけるのには18年もかかるという。
<目の前のことだけでなく>
私たちは、どちらかと言えば目の前にやってきたことに
囚われ、翻弄され、右往左往しがち。
欲しいものに向けて、種を蒔き、
じっくり時間をかけて育んでいくことにも、意識を向けていきたい。
いきなり果実だけを得ようとするのとは違った、
視点を持っておくことも大切かもしれない。