気づきの伝道師 藤井一規です。
幸せですか? と聞かれても、
とても幸せとは言えないひとたちがいる。
大変な毎日が続いているような人もいる。
そんなとき、どのように幸せを感じ取っていくことができるのだろうか?
今日は、幸せの感じ方について考えていく。
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この記事の目次
「小さな幸せを数えだしたら大きな安心が手に入った。手があって幸せ、足があって幸せ、今日があって幸せ」
by 斎藤一人(実業家、作家)
大きな幸せは見つけられなくても、
小さな幸せなら見つけることができるかもしれない。
幸せを感じるにはどのようにしていけばよいのか、もう少し考えていきたい。
<幸せですか?>
忙しい日々、大変な日々を送っている人にとって、
幸せですか?と声をかけても、違うと返ってきたりする。
幸せを見つけましょう! と伝えても
なかなか見つけることができなかったりする。
だって、大変な毎日を送っているんですから!
幸せなことは? と尋ねられたとき、
私たちはつい、大きな幸せのなかにいたり、とてもいい状態の日々でないと
ならないような気持ちになったりする。
<幸せの大きさと幸せの感覚>
どんなちっちゃな幸せでもいいよ。
と伝えると、ひとつ、ふたつと見つかり始める。
好物のお菓子をいただいた。
そういえば、さっきエレベータを待たずに乗れた!
そんな話をしていると、なんだか幸せな気持ちを
感じられることに気がつく。
そして、もうひとつ、大きな幸せだからといって、
比例して幸せの感覚も大きくなっていくか、というと、
そうでもないことに気がつく。
幸せを感じるのに、幸せの大きさを気にする必要はないのだ。
<当たり前の幸せ>
何人かで、お互いにちっちゃな幸せを見つけて、伝えあっていくと、
普段、当たり前だと思っていたことも、
実は奇跡のようなことだ、とわかったりする。
自分には当たり前でも、
他人には当たり前ではなかったりすることはいっぱいある。
ああ、こんなに幸せが近くにあったのかと、
気づくことができていく。
<幸せはそこにある>
そしてもちろん、今ここに、自分の命があることも
ものすごい幸せなことの一つ。
どれほど、忙しかったり、大変だったりするとしても
命を授かり、命を紡いでいること、命の輪に参加していることが
いかに有り難く、奇跡的なことか。
まずは、身の回りのちっちゃな幸せを見つけてみよう。
そして幸せを感じてみよう。
どんなときにも、幸せがすぐそこにあることを想い出していきたい。