気づきの伝道師 藤井一規です。
あなたが一生懸命取り組んでいること。
自分がやりたいから。というものもあるだろうし、
誰かから信じられているから。というものもあるかもしれない。
心理的に苦しむひとたちには、誰かの期待に応えようと頑張り、
頑張り切れなくなった人たちも多いという。
期待に応えようとすること、本当の期待とは何かについて、もう少し考えていく。
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この記事の目次
「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ」
by 太宰 治(作家。「走れメロス」より)
メロスは何のために走ったのか?
友の期待に応えるため? 信頼に応えるため? ちょっと違うかもしれない。
誰かの期待に応えようとするとき、本当の期待とはなにかについて
意識を向ける必要があるかもしれない。
<誰かの期待>
私たちは生まれてきて、成長してくる間に、
周りからの期待に応えたいという気持ちが芽生えてくる。
特に、最も身近で自分の存在価値を最も感じさせてくれる
親の期待に応えようとする。
「おとなしくていい子なの」と自慢している親の姿を見て、
「ああ、おとなしくしていることに、私の価値があるのだ」
と、無意識のうちに捉え、
自分の言いたいこと、やりたいこと、思いを
抑え込んでしまう子どもはとても多い。
他人の期待に応えようとすることは、
とてもとても重いモノになっていたりする。
<メロス>
メロスは走り続けようとする。
日没に間に合わなければ、友人セリヌンティウスは、メロスの代わりに殺されてしまう。
帰れば自分が殺されるとわかりながら走り続ける。
王に人を信頼することの大切さを伝えようと走る。
セリヌンティウスの弟子フィロストラトスが、メロスを心配し、遅くなったメロスに
セリヌンティウスがメロスが来ると信じていたと告げたとき、
「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。ついて来い! フィロストラトス」と言っている。
単に期待に応えようしているのとはちょっと違っている。
メロスの自らの強い意思がそこにはある。
<セリヌンティウスの本当の期待>
セリヌンティウスの本当の期待は何だったのだろう?
メロスが3日後の日没までに帰って来ることだったのだろうか?
メロスが王に伝えたかったことは、人を信頼することの大切さだ。
そして、セリヌンティウスもそれに賛同し、
メロスを信頼することを実践することを決意していたに違いない。
セリヌンティウスの本当の期待は、信頼する大切さが王に伝わることだったはず。
それはメロスを信頼し続ける自分であり続けることだ。
メロスがどんなに遅くなろうとも。
ひょっとして間に合わないという事態になろうとも。
もちろん、メロスが間に合ってほしいとは思っていただろうが、
本当の期待はメロスが間に合うか、間に合わないかとは別のところにあった。
<親の本当の期待>
親にとって、子どもへの本当の期待は「おとなしくていい子」ではないはずだ。
しかし、つい親にとって都合の良い状態であることが
望ましいようなメッセージとして子どもに伝わってしまいがち。
親の、子どもに対する本当の期待とは何だろうか?
「命を思いっきり燃やしてほしい」かもしれない。
「ただ生きていてほしい」かもしれない。
正解なんてないけれど、
自分の都合で考えた「おとなしくていい子」の
ような期待を伝えることは避けておきたい。
あなたの本当の期待をしっかり伝えることによって、
相手の在り方が大きく変わり、
その行動も変わっていくことに気づいていきたいもの。