気づきの伝道師 藤井一規です。
人生において何を遺すのか。
そんな基準で人生を考えてみるのはどうだろうか?
今日は、人生で何を遺すかを基準とすることについて考えていく。
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http://shitsumon-alacarte.com/mental/11992/
この記事の目次
「財を残すは下、事業を残すは中、人を残すを上とす」
by 後藤新平(医師、官僚、政治家)
出典にはいくつか説があるようだが、ここでは後藤新平とさせてい頂いた。
どんな人生だったかを振り返るとき、
何を遺したか、で考えるとしたら、どう判断するだろうか?
<財を遺す>
人生の成功というと、どれほどの財を成したかは有力な測り方の一つと考えられる。
財を成すことを目指す人は多い。
しかし、財を成せば幸せか?というと、
必ずしもそうではなかったりもする。
財をどのように使うか、活かすか、
の方がより大切になってくるかもしれない。
財産の山を築くだけでは、
財産というモノがそこにあるというだけになってしまう。
<事業を遺す>
事業を遺すとしたら、
継続的に財を生み出す仕組みを遺すことになる。
財産をどのように使うか、活かすかが
大切なのだとしたら、
継続的に財産を生み出す仕組みがあれば、
使い続け、活かし続けることができる。
単に財産の山を遺すより、
継続性を生み出すことができる。
<人を遺す>
出来上がった事業を遺す以上に、
新たに事業を起こすことができたり、
事業を継続できるような人材を遺せば、
より柔軟に、変化にも対応できるようになる。
もちろん、事業をおこすことだけが人を遺すことではない。
プロ野球の野村克也さんは、
人間何を残すか。人を残すのが一番。少しは野球界に貢献できたかな
と言っている。
次の世代を育てることによって、継続や発展が起きていく。
<次の世代へ>
人生には限りがある。
となれば、先祖から引き継ぎ、さらに子孫に引き継いでいくことになる。
生命の本能だけでなく、より望ましい世界にしていくために
自分には何を遺すことができるだろう?
そんな視点から、これからの人生を考えてみる。
なにも立派なことである必要なんてない。
こんな失敗をしてしまった。
こんな苦難を味わった。
自分の体験を遺すことも、次の世代には役に立つ。
人間の仕組みは、人類誕生からほぼ変わっていない。
同じような体験が世代が変わっても起きて、
同じように反応したりしている。
先達となっていく私たちの体験は、役に立てることができる。
自分に遺せるものは何なのか?
考えてみる価値はある。