気づきの伝道師 藤井一規です。
私たちは人をつい、偏った思いを持ってしまいがちなもの。
特に、相手の肩書きやタイトルに影響をうけたりします。
今日は偏見について考えていきます。
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この記事の目次
「偏見を持つな。相手が幕臣であろうと乞食であろうと、教えを受けるべき人間なら俺は受けるわい」
by 坂本竜馬(江戸時代末期の志士、土佐藩郷士)
誰しも偏見から逃れることができない。
というと、え? 私、偏見なんて持っていません!という方もいらっしゃるかもしれません。
誰もが持つ偏見とは? どのようにしていけばよいのか?
ひととき、考えていきたい。
<偏見は工夫や知恵>
私たちは、知識を手に入れたり、体験、経験を通して学びを得ている。
これらは単なる事実を超えて、思い込みを作り上げていく。
こういうときは、***したほうがいいんだな。
という学びを、無意識のうちであってもしたとすれば、
同じようなケースだなって、感じ取ったら
学びを使って、効率的に対処できるというわけだ。
しかし、全てのケースを経験して決めたわけではない。
全てのケースを経験するには無限の時間が必要になる。
たまたま出遭ったことから決めていたりして、
他の人からしたら、偏った考え方をしているのかもしれない。
<肩書きや地位>
私たちが陥りやすい偏見のひとつは、
肩書きや地位から判断することだ。
どこそこ大学の教授、と聞けば一瞬で
なんだかすごい研究をしている専門家、という思い込みができたりする。
その大学名が有名であればあるほど、そう信じてしまったりする。
「幸せになるための方法」を聞くとしたら、
社会的地位が高いことと幸せとは、必ずしも一致していなくても、
社会的な地位が高いひとの意見を、なんとなく尊重したくなったりする。
気づかないうちに、社会的地位と幸せとを結び付けてしまっていたりするのだ。
同じようなことが、気づかないうちに起きていたりする。
<まずは受け留める>
偏見を持つことは避けられない。
しかし、そのことを知っていれば、対処の方法がある。
自分と異なる考え方をいきなり受け入れることは難しくても、
受け留めることができるからだ。
まずは、相手が何を言っているのか、よく聞いてみることから始めたい。
聞くことを拒絶してしまっては、自分の偏見の世界の中のままだ。
自分の考えは横において、じっくり聞いてみる。
「そうなんだ」と聞いていく。
すると、なるほど!と思えることがあったり、
ひょっとして、相手の言うことのほうが、理にかなっていたりする。
もちろん、自分の考え方のほうがぴったりくるってこともある。
新しい考え方に触れることで、気づくこと、学ぶこと、発見することはきっとある。