気づきの伝道師 藤井一規です。
劣等感で悩む人は多い。
しかし、同時に劣等感をエネルギーに変えている人たちも多い。
誰しも何らかの劣等感を持つといわれます。
今日はどのように劣等感とつきあっていくかについて考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/12041/
この記事の目次
「人間であるということは、劣等感を持っているということだ」
by アルフレッド・アドラー(オーストリアの精神科医、心理学者)
劣等感で悩む人は多い。
しかし、人間であれば誰しも劣等感を持っているという。
どのように対処していけば良いのか、しばらく考えていきたい。
<誰しも?>
劣等感にさいなまれ、苦しんででいる人ばかりではないため、
人間、誰しもが劣等感を持っている、というと違和感があるかもしれない。
こんな風になりたい、あれができるようになりたい、もっとうまくなりたい、
といったように、成長の意欲があるということは、
そこには、まだ不足しているものがあることを意識している、ということだ。
そう、劣等感というと、持ちたくないもののように感じるかもしれないが、
劣等感があるからこそ、成長の意欲が湧いてくるともいえるのだ。
<劣等感の捉え方>
劣等感で悩む人は、自分に不足しているもの、欠けているものに気づいたとき、
だから自分はだめなんだ。どうせ自分なんか。
そんな思いを抱いていたりする。
他の人はできるのに、何で自分はできないのか、という場面があったとき、
そこから、できるようになろうとする前に、
自分には無理なんだと、理由付けしようとしている。
誰しもが抱く、劣等感に気づいたとき、
自分にもできるはず、という方向に捉えるか、
自分にはできないんだ、という方向に捉えるかの違いがあるのだ。
全く同じレベルのことはできなくても、自分にできることを工夫したり、
別のやり方でカバーしようという意欲につなげるか、
その場で後ろを向いて、縮こまってしまうかの違いがある。
<選択はあなた>
どちらを選択するかは、自分で決めることができる。
可能性に向かっていくか、自分の可能性を否定し、そのままでいるか。
どちらを望むか、それだけの違いだ。
そして、可能性に向かっていく人がそばにいるのなら、
もちろんそれが自分自身であっても、
可能性へ向かおうとしていることに気づき、認めていきたい。
そして、ほんの少しであっても、成長したところに気づき、認めていきたい。