気づきの伝道師 藤井一規です。
誰かを恨みに思うことってあるかもしれない。
しかしそれは、自らの命をも縮めてしまうと言われる。
それはなぜなのだろうか? しばらく考えていく。
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この記事の目次
「遺恨の念は、毒を飲んでおきながら、それが敵を殺してくれると期待するようなものだ」
by ネルソン・マンデラ(南アフリカ共和国の政治家、弁護士)
あいつのせいで! いつか仕返しを!
そんな思いを抱えてしまうことが、人生にはあるかもしれない。
しかし、それは自分自身にとっての毒薬となってしまうという。
この言葉をもう少し味わっていきたい。
<恨み>
残念ながら世の中は公平にはできていない。
さらに、公明正大な人ばかりではなく、誰かのせいで
自分が苦境に陥ったり、辛い思いをさせられることもある。
事件の報道を見ていると、
とんでもなくわがままな理由で殺人が行われたりすることもある。
巻き込まれたりしたら大ごとだ。
詐欺で、誰かを意図的にだまそうとする人たちもいる。
一生懸命ためたお金をだまして奪おうとする人たちもいる。
犯罪のレベルではなくても、誰かのせいで、理不尽な行動で
辛い目にあわされたり、大切なものを奪われたり傷つけられることがある。
そんなとき、恨みの気持ちが湧いてくるかもしれない。
<大切なものがあるから>
それは自分の中に大切なものがあることの証明でもある。
大切なものがあるから、それを奪われることは許せない。
まずは、湧き上がってきた気持ちは、
それだけ自分が大切にしているってことだなって気づいていきたい。
大切なものを大事にしようとしている自分を抱きしめていきたい。
<恨む気持ちが生み出すもの>
恨む気持ちを抱いていると、
望む気持ちとは違うのに、マイナスな気持ちを抱えてしまうことになる。
自分が言われたら身の毛もよだつような言葉を言ってしまったりする。
この言葉は相手にも聞こえるが、
自分の頭の中に浮かべ、声に出し、その声は自分の内側に響き、
また耳からも聞こえてくる。
誰かを指さして、罵詈雑言を浴びせるとき、
1本の指は相手に向かっているが、
3本の指は自分に向かっている。
相手に向けて使っているつもりが、
自分の方によりたくさん向けてしまうことになっている。
相手にぶつけたい気持ちがあるとき、
ぶつけられる分があるとしても、
よりたくさんをまず自分が抱えなくてはならない。
本来抱えていたくない気持ちなのであれば、
相手よりもたくさん自分が抱えることになる。
<手放していく>
自分にとって大切であればあるほど、
そう簡単に恨む気持ちから離れられないかもしれない。
しかし、より多くのマイナスを自分の中に抱えることになることに気づけば、
手放す気持ちが起きやすくなっていく。
恨みに囚われていると気づいたら、
恨みから自分を自由にするという選択もあることに気づいていきたい。