気づきの伝道師 藤井一規です。
こんなはずじゃなかったのに。。。
そんな思いを抱えることがあります。
自分だけが不運に憑りつかれたような気持ちになって、
その思いが募って、積み重なって、あるとき爆発してしまったり。。。
そんな思いとの付き合いをどのようにしていけばよいのでしょう?
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
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この記事の目次
「こんなはずじゃなかったのに、という考えは捨てなさい。こんなはずなのだから」
by ウェイン・W・ダイヤー(米の心理学者)
自分の思い通りにならないことは、たくさんある。
いや、思いどりになることの方が少ないはずだ。
複数の人の思いが互いに対立していれば、思い通りにならない人の方が多くなる。
一緒にいる人たちの思いとは別に、より大きなチカラが働いて
押し流されてしまったりもする。
しかし、自分が被害を受けているという思いから抜け出していくことは、
人生の満喫してくためには必要なこと。
どうしていけばよいのか、もう少し、掘り下げていきたい。
<期待とは>
こんなはずじゃなかった。。。
という思いを抱えるときは、こんなはず、という期待を持っていたことになる。
期待とはどんなものだろうか?
期待は、いま受け留めることができている情報をもとに
自分の都合の良いように未来を想像して生まれている。
情報はたくさん発信されているが、
そのすべてが受け留められるわけではない。
その情報に触れる機会がある必要があるし、
機会があったとしても、認識できるものといえば、
今自分が関心を集めているものに限られてしまう傾向がある。
だから、期待は、かなり偏った情報をもとに、
自分の都合の良いように想像して生まれていると言ってもいい。
<期待の偏り>
もちろん、期待を持つこと自体は悪いことでもなんでもない。
むしろ望ましい状態を思い描くことは素敵なことだ。
しかし、期待通りにならなかったといって、
その原因を探り当て、攻撃することに執着してしまっているとしたら
考え直した方が良いかもしれない。
よく、恋愛結婚で結婚したら途端に豹変して、こんなはずじゃなかった!というケースがある。
恋愛のときには自分をよく見せようという気持ちがお互いに生まれている。
また、自分に都合の良い想像が膨らみがちになる。
相手の本性が現れる機会はあったはず。
また、親との関係など、周りの人たちとの関係ををよく観ていくと、
気づけることはいっぱいある。
しかし、直接の相手だけを情報源としてしまうと、
そこにあって、得られたはずの有用な情報を受け取り損なってしまっていたりする。
これは、恋愛結婚の話だけはなく、
こんなはずじゃなかったケースの多くに当てはまることだ。
先日の言葉、「明歴々露堂々」にも通じるところがある。
<期待はするが、期待を手放す>
期待通りにならなかったとき、こんなはずじゃなかった!
という気持ちはわかるけれど、
期待通りにはならないはずだった、と捉えるほうが理にかなっている。
今この瞬間に期待がかなうことに執着することは、
無理を生じている、と考えたほうが自然なのだ。
もちろん、先にも触れたが、期待することそのものは素敵なこと。
しかし、今起きていることは、今はそのまま受け留め、
来たる未来に向けてどうしていくかを決めていけばいい。
相手を信じて待つ、というのもひとつだし、
現実を見つめなおして、さらに押し進めていくのもひとつだし、
ここを機会と新たな方向に進むのもひとつ。
期待を手放すことは、人生の秘訣の一つかもしれない。