気づきの伝道師 藤井一規です。
相手と会ったことはないけれど、どんな相手なのかを知っておきたい。
そんなときは、どうしていますか?
今は、ソーシャルメディアやブログなどで、自ら公開していることもあったりしますね。
今日は会ったことのない相手のことを知ることについて考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/12497/
この記事の目次
「其の子を知らざれば其の友を見よ」
by 荀子(中国の哲学者)
相手と直接にコンタクトできないが、相手のことを知りたいなら
相手の周りの人から情報を集めることができるかもしれない。
今日はこの言葉をもとに考えていく。
<類は友を呼ぶ>
類は友を呼ぶ。という言葉があるように、
共感できるところがあるから、友達になっていたりするもの。
一緒にいて、好みが一致していたり、違いが許容できたり、考え方が似ていたり。
かなりのことは、知りたい相手の周りの人たちから情報を得ることできる。
ときには、本人から直接情報を説明してもらうよりも、
付き合っている友人からの方が、より冷静な情報が得られるかもしれない。
<却って自分では自分の姿はわからない>
自分のプロフィール写真は、自分では選んではいけない。
と言われたりする。
なぜなら、自分の姿は鏡を見ることで認識することになるが、
それは左右が反転した状態だ。
反転した、本来の自分とは異なる自分の姿の見え方に慣れてしまっているので、
本来の自分を表現していない写真の方に、魅かれてしまったりするという。
声にしても、録音した自分の声に違和感を感じたりするもの。
内から感じるものと、外から捉えるものとは違っていたりする。
<親の姿は子の未来>
相手のことを知るには、親御さんにあってみると良い。
やはり遺伝的に引き継いでいるものもある。
また、幼少時に見て、聞いて、感じてきたことは
知らず知らずのうちに、慣れ親しんでいるし、
無意識に刷り込まれている。
時が経つほど、親に似てくるなんてことはよくあること。
<親しい関係には同じ波長がある>
やはり、親しい関係を続けることができるということは、
同じような波長をもっているってこと。
ぶつかり合ってばかりだったら、関係は続かない。
となれば、親しい関係の友人からの情報は、
相手を知るためには効果的な情報となる。
特に子供のころからの付き合いのある友人なら、
親御さんも知らないような一面を知っていたりする。
素の自分をさらけ出す機会が多かったはずだからだ。
わたしたちは、関係性からできていると言える。
もちろん、本人からでないとわからないこともいっぱいあるが、
ある程度は周りの人たちから、その人となりを知ることができるものなのだ。