気づきの伝道師 藤井一規です。
子どものとき、何のために勉強するの?なんて言ったことがあるかもしれない。
たしかに、勉強だけができても不十分だけれど、勉強することは大切です。
今日は勉強、学問をどのように捉えていけばよいか、について考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/12556/
「人間にとって学問は、木の枝に繁る葉と同じだ」
by 武田信玄(戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名)
学問を木の枝に繁る葉に例えた武田信玄。
戦国武将であれば、戦に強いことが求められ、身体の鍛練も求められたはず。
さまざまな駆け引きも大切な要素。
学問とはどのようなものなのか、この言葉をもとにもう少し考えていく。
<生きるだけなら>
生きていくことだけを考えたら、学問はしなくても良いかもしれない。
自分が体験したこと、誰かから教えられたことから、
学び、努力していけば、ひとかどの武将としての器ができるかもしれない。
部屋の中で、青っちょろい学問なんてしても役に立たない!
そう思った人たちも多いはず。
昨今の芸能界をみても、おバカを売りにして番組に出ている
タレントも結構いたりする。
学問ができないことのほうが、有利になるような場合があるようだ。
では、学問の価値はどこにあるのだろう?
<学問の価値>
信玄は学問を木の枝に繁る、木の葉に例えた。
であれば、木の幹や枝は、木の根っこは何に当たるのか?
日常の中で食事をすること、身体を鍛えたりすること、武芸を身に付けることなどは、
木の根っこや、幹や、大きな枝になっている。
これらがしっかりしていなければ、木としては成り立ってはいかない。
まずは、根や幹や枝が必要なのだ。
そのうえでバランスのとれた学問があることで、葉を繁らせることができ、
光合成をしてより多くの栄養を得ることができ、根幹の成長もしっかりする。
落ち葉となれば、また自らの栄養の素となっていく。
<どちらも大切>
いくら学問ができても、身体をないがしろにしたり、
人を大切にすることができなかったりすれば、アンバランスだ。
しっかりした土台の上に、学問によって葉を繁らせることによって、
より豊かな暮らしを、より望ましい人生を得ていくことができる。
両方をしっかりしていくことが、必要なのだ。
取り組んでいることが根幹をなすところなのか、
より素晴らしい人生としていくための葉なのかを区別しながら、
両方に取り組んでいくとバランスをとりやすい。
【学問は、木の枝に繁る葉のごとし】
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