気づきの伝道師 藤井一規です。
運の良し悪し、みたいなものはあるように思われます。
全てのことが、確率で起きているのだとしても、
どうにも差があるよう感じられます。
今日は運を良くしていくことについていて考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/12599/
この記事の目次
「よく運が良い悪いと言いますが、運のいい人というのは、考え方が前向きです。
運の悪い人というのは、自分を棚に上げて人の批判ばかりしています。
そういう人は、知らず知らずに運を悪くしています 」
by 稲盛和夫(実業家)
なんて自分は運が悪いんだ。。。いつもそう。。。
そんな思いを抱いている人と、自分って運良いよなって思っている人がいる。
その違いはどこからやってきているのだろう?
運がよくなるためにできることはあるのだろうか?
しばらく考えていく。
<運の良い人たち>
運の良い人たちには、共通した何かがあるのだろうか?
基本、私たちの心が願ったことは、叶う方向に向かおうとする。
心の波動は発信され、その波動に共振するものが現れてくる。
リチャード・ワイズマンなどの研究によれば、
1.チャンスを拡げている
2.虫の知らせを聞き逃さない
3.幸運を期待している
4.不運を幸運に変えている
この4つが運の良い人のポイントだという。
<違いを生み出しているもの>
同じことに取り組んでいたとしても、
好奇心を持って、楽しんで暮らしているひとと、
肩肘張らなくてはと思い、しなくてはならないことに縛られている
と感じながら暮らしているひととでは、大きな違いが出てくる。
なかには、取り組む前からあきらめてしまっている人もいる。
あきらめている人ができないのは、自分の望みが叶っているってことだ。
また同じモノを観ていても、
おもしろそうなところ、楽しそうなところ
不思議なところに目を向けているか、
大変そうなところ、面倒そうなところ
当たり前なところに目を向けているかは違いを生み出す。
それから、何かにピンときたら、ちょっと調べたり、確認したりしてみる。
すると、何か大きなことの予兆だってわかったりする。
調べるのが面倒だって思っていたら、せっかくの機会を逃してしまう。
さらに、同じ嫌な体験をしても、そこから得られたものに目を向けるのと、
失ったものばかりに目を向けるのとでは、大きな違いが生まれてくる。
などなど。
<全ては自分の選択>
重要なことは、こういうときには、こうしなくてはならないというものではない。
どちらを選ぶかは、いつでも自分で決めることができる、ということだ。
私たちは、知らず知らずのうちに、
どちらかに偏った考え方、捉え方、向き合い方をしてしまっているもの。
選択肢を持ち、選択肢の中から、自分の望むように選んでいけばよいのだ。