気づきの伝道師 藤井一規です。
この人についていきたい!
そう思わせてくれる人には、どんな要素があるのだろうか?
今日はリンカーンの言葉から、ついていきたくなる指導者の条件について考えていきます。
<ブログリンク>
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この記事の目次
「人間は、たとえ相手が自分の一番関心のある目標に導いてくれる指導者であっても、自分の気持ちを理解してくれない者には、ついて行かない」
by エイブラハム・リンカーン(第16代アメリカ合衆国大統領)
自分の目標に到達するために、手助けが必要なことがある。
スポーツのみならず、ビジネスや人生においても、
魅力的な指導者がいるのと、いないのとでは、大きな違いが生まれたりする。
この言葉をきっかけに、魅力のある指導者についてしばらく考えていく。
<役に立つかどうか>
この人についていけば大丈夫だ。
そう思わせてくれる指導者とはどんな人だろうか?
たとえば、本人の実績が素晴らしいものであれば、
その経験は、私のためにも役に立つかもしれないと思わせたりする。
(まあ、自分でできるのと、教えられるか、というのは別なことの方が多いけれど)
また、本人自身はそれほどでもなくても、有名選手や実力ある選手を
育てたという実績があれば、教えを乞う価値はあると思わせたりする。
<共にする相手のことを思う>
どんなに、教える能力があっても、
この人はちょっと。。。という場合がある。
教える側の都合や、わがままにつき合わせられたり、押し付けられたりすると、
短期的なら、エッセンスを学びたいとは思うが、
長期間のお付き合いは、遠慮申し上げたくなる。
学びに来た相手と言えども、人間として上下があるわけではなく、
人として大切にする気持ちが求められるのだ。
<気持ちを理解するとは>
リンカーンの言葉でいえば、気持ちを理解するということだ。
ただ、この言葉、誤解を招きやすいかもしれない。
学ぶ側の気持ちを理解するとは、学ぶ側の気持ちをわかって、
常に心地よいようにすれば良い、というわけではない。
また、目標が高いからといって、ただ厳しいだけでもついていけなくなってしまう。
こんな例がわかりやすいかもしれない。
子どもを育てようとするとき、
気持ちをわかって心地よいようにと、甘やかしてばかりいるとしたら、
社会に適応していくことができなくなってしまう。
反対に、ただ厳しいだけで人間性をないがしろにされたままだとしたら、
嫌になってしまうだろう。
<愛情を持って>
学ぼうとする人のことを真剣に考えるとき、
能力限界値をあげるために、適度に負荷をかけたり
厳しくしていくことも必要になってくる。
同時に、愛情を持っていることも伝えるようにしていきたい。
誰かを育てるには、愛情をもって
必要な厳しさも与えていくことが必要になっていく。
それは、相手にも伝わり、ついていきたいという気持ちを生み出していく。