気づきの伝道師 藤井一規です。
妻が夫のことをバカにしてしまう。
とういうことは、よくあるようです。
今日は、ロバート・フロストの言葉をしばらく味わっていきます。
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この記事の目次
「母親は子供を男に育て上げるのに20年かかるというのに、他の女性は20分で男をバカにしてしまう」
by ロバート・フロスト(米の詩人)
誰かの情けない場面に遭遇することってあるもの。
そんな相手をバカにしてしまったりってこともよく起こりがち。
どんなふうに捉えていけばよいか、しばらく考えていきたい。
<情けない姿>
酔っぱらって帰ってきて、
服は脱ぎ散らかすは、吐かれてしまって、臭いは汚れるは・・・
夫のそんな情けない姿を目の当たりにして、幻滅した。
なんて話を聞くことがある。
妻同士で、情けない夫情報の交換会。。。
そんなことがあったりもするかもしれない。
確かに、誰しも情けない姿の誰かと付き合う機会は減らしたいもの。
情けない姿とは向かい合いたくないもの。
<自分の中にもある>
しかし、嫌悪の反応が起きているとしたら、
自分の中にもそういう面があるということでもある。
自分が避けたいもの、
見たくないもの、聞きたくないもの、感じたくないものが
自分の前にあることが嫌だからの反応なのだ。
自分の中にあることを認めたくはなかったりするので、
相手を一方的に責めてしまい、自分からは目を意識を感覚を逸らしてしまおうする。
嫌悪するものがあることは、
自分の中にあるものにも気づきなさい、というシグナルになっていたりする。
<愛する子供なら>
自分の愛する子どもが、おもらししたりすることがあっても
困るなあ、という気持ちは起きても、嫌悪とは違うものになっているだろう。
愛を注ぎ、時間をかけ、育ててていく子ども。
いつか成長したとき、その子供がよその誰かにバカにされているとしたら、
何と悲しいことだろう。
バカにしているその誰かにも、同じようなところがあったりするのに。
ストレス発散のひとつにはなるかもしれないが、
自分のパートナーの情けない情報を自慢のように話すこと自体、
話す人の情けない部分になっていたりするのに。
<バカにしたくなったとき>
誰かのことをバカにしたくなったときは、ちょっと一呼吸。
それは自分の中にもあるものであり、それがその人の全てなどではない。
その人には愛を長い時間、一杯注いできた人たちがいて、大切にされてきた存在。
自分の中にある情けない部分が現れて、
バカにされたとしたら、とても哀しいこと。
あなた自身だけでなく、
あなたに愛情を注いでくれた人たちにも失礼だったりする。
誰もが情けない面をもっているもの。
バカにしたくなったら、ちょっと立ち止まってみたい。