気づきの伝道師 藤井一規です。
対立する敵がいたら、勝負して、やっつけて、滅ぼすという方法がある。
しかし、正面切って戦うことは、問題をおこすことも多いもの。
敵を滅ぼすために、別の方法があるとリンカーンは言う。
今日は、エイブラハム・リンカーンの言葉をしばらく味わっていきます。
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この記事の目次
「敵が友となる時、敵を滅ぼしたと言えないかね?」
by エイブラハム・リンカーン(米第16代大統領)
敵がいる状態から、敵がいない状態にできたとしたら、
敵を滅ぼしたと言えるのではないだろうか?
もうしばらく、この言葉を味わっていきたい。
<敵の登場>
社会で生きていくと、敵が現れることがある。
自分の行く先を邪魔しようとするものであったり、
自分の大切にしているものを壊そうとしていたり。
お互いの利害が一致せずに、対立することがある。
それぞれが良かれと思ってしていることなので、
第三者の視点で捉えたときには、
一概にどちらが悪いと決めつけることができないような場合もある。
<闘うという選択肢>
敵が現れたときには、闘うという選択肢もある。
闘って、相手をやっつけてしまうことだ。
もちろん、相手が第三者的に考えて明らかに理不尽ならば、
正面切って闘う必要がある場合もある。
しかし、闘いは一方的な勝利に終わることばかりではなく、
お互いに痛手を被ることが多い。
それに闘うという意識が先行してしまうと、
相手へのリスペクトを失ってしまって、
人間性を貶めようとしたりなど、必要のないことまでしてしまう恐れもある。
同じ会社の中など、今後も長く付き合っていく相手なのだとすれば、
傷をつけあったという経験は、未来に禍根を残してしまったりする。
闘う場合にも、相手へのリスペクトを常に保ち続けておきたい。
<敵を仲間にする>
喧嘩両成敗といわれるように、エンドレスの喧嘩のような状態は、
どちらにも問題があると捉えられやすい。
また、利害が対立するといっても、
どこかで、協力する可能性があったりする。
正面切ってぶつかっているなら、ちょっと当たる角度を変えるだけで、
簡単に両者が同じ方向に進むことができるようになる。
ぶつかり合うパワーを、ちょっと工夫するだけで、
お互いの推進力に変える可能性があるということだ。
<闘うより、共に進む>
ここぞというところでは、闘う必要があるかもしれないが、
社会での処世術としての基本の考え方は、敵を滅ぼすには、まず敵を味方に。
対立する相手を味方にできれば、
相手のチカラも活用して進んでいくことができる。
是非考えていきたい。