気づきの伝道師 藤井一規です。
甘えられる環境があると、つい甘えてしまったりします。
朝起こしてくれる、食事は黙っていても出てくる。嫌なことは代わってやってくれる。。。
本当にそれでよいのでしょうか?
今日は、甘えについて考えていきます。
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この記事の目次
「いつまで甘え心を捨てえないのですか。この二度とない人生をいったいどのように生きようというのですか」
by 森 信三(教育者、大学教授、哲学者)
この言葉は、教育者を目指す学生に向けてのもの。
教師を志すほどの者が、自分一箇の人生観、世界観を持たなくてどうするのです。
眼は広く世界史の流れをとらえながら、しかも足元の紙屑を拾うという実践をおろそかにしてはなりません。
と続く。
今日は人生においての甘えについて考えていく。
<成長段階での甘え>
私たちは、生まれてしばらくは万能感を味わっていくと言われる。
それは、親が全力で守り、要求にはなんでも応えてくれる。与えてくれるからだ。
そして、成長していくと少しずつ自ら外の世界、未知の世界に触れるようになっていく。
自分の思い通りにならないこと、失敗したりすることも経験する。
しかし、親の元に帰ってくれば安心、安全が待っている。
その安心感があればこそ、子どもはチャレンジでき、
のびのびと成長していくことができる。
この安心感が欠けていると、恐ろしさが先に立ちすぎて、
自分の世界を拡げることができなくなってしまう。
甘えられる環境は成長には欠かせないものなのだ。
<甘えと甘やかし>
もちろん、甘えと甘やかしとの違いは知っておきたい。
成長していくと、自分でできることは自分でしたくなっていく。
しかし、自分ができることでも、「お願い」してくることがある。
突き放すこともできるけれども、お願いしてきたのには、
なにか理由があると考えられる。甘えたい何かがある。
ときには、親の迷惑になることをわざとしたりする。
心を受け留めてほしいという思いがあったりする。
それらはしっかり受け留めていきたい。
しかし、それがあまりに日常化してしまうのは甘やかしになっていく。
また、子どもが自ら何かしようとしているのに
親がさえぎり、手を出してやってしまったりするのは、甘やかしになる。
甘やかしは、その子の成長を妨げてしまう。
親が永遠に子の面倒を見ていくことはできない。
だから、子どもは自分のチカラで生きていく能力を身に付ける必要がある。
であれば、子どもにもそのことは伝えておく必要がある。
いつまでも甘え続けることはできないと。
自分で生きていくチカラを身に付けておく必要があることを。
<人として>
大人になっても、甘えたい気持ちはあるもの。
甘える時間、誰かを甘えさせる時間があってもいい。
安心安全の場があることは大事なこと。
それがただの甘やかしとなって、自分や相手の自立を妨げているとしたら考えもの。
自立にむけての休憩所であっても、
そこから抜けられないようにする場所とは違う。
自分の人生をどのようにしていくか、甘えのあり方について
考える価値はきっとある。