気づきの伝道師 藤井一規です。
昨日のひとことの山上宗二を殺させた豊臣秀吉。
権力を持つようになってからは、好ましくない話もたくさんある。
しかし、秀吉が出世物語はスゴイものがある。
成長し、出世した大きな理由は、織田信長に認められたこと。
では、なぜ認められていったのか。
今日は、無理難題に出会ったときの心構えについて考えていきます。
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この記事の目次
「主人は無理をいうなるものと知れ」
by 豊臣秀吉(武将、大名。天下人、(初代)武家関白、太閤)
秀吉が出世した大きな理由は、
信長が出した無理難題と思える要求に応えることができたから、
と考えることができる。
それはどういうことなのか、もう少し考えていく。
<戦国時代>
戦国時代は、味方になったり離れたり。
昨日の仲間が今日は敵となったりした時代。
付き従っていても、家の生き残りがかかったとき、
離反することは珍しくなかった。
それはある意味、対等な意識があって、無理難題が与えられれば、
そんなの無理!ってなって、考えることを拒否するようなことにも
つながっていたと考えられる。
<経営の立場から>
経営者の立場からすると、
今ある人や設備でできることはこれだけだから、やれることはここまで。
という考え方ではいられなかったりする。
いつまでに、これをやり遂げなければ、会社が存続できなくなる。
となれば、何が何でも実現させようとするだろう。
実現するために、どのようにすべきか?
を考えて、行動し、部下に行動をおこさせ、結果を出していく必要があったりする。
<秀吉の意識>
秀吉は、信長が下からの積み上げではなく、
天下を取っていくために、目の前の強敵を倒していくために
何をすればよいかを考え、提示してくることに気づいていた。
多くの人は、信長の指示をただ待ち、またこんな無理難題を言ってきた!
という態度で臨んでいた。
7日で城を作れ!といわれたら、「それは無理です!」となるところ。
しかし、これが実現できたらこの戦、勝てる。とするならば、どうすれば実現できるのか?
従来の方法では無理があるのなら、全く違う別の方法はないものか?
秀吉は考えた。
こうして一夜城などといわれる、非常に短期間の築城が実現され、
戦の結果を左右する効果をもたらしている。
秀吉は、主人は無理を言ってきて当たり前、
まったく無理を言わないのであれば、
殻を破って進むことができない主人かもしれない
という意識があったと思われる。
<バランス>
もちろん、無理難題だけを押し付け続けるとしたら、
崩壊への道を歩んでしまうのは明らか。
今日の言葉を思うとき、だから部下をこき使っていいんだ。
上司は無理難題を言うものだ。
という方向に向かうのだとしたら、大きな間違いとなっていく。
実際、単にハードルをあげさえすれば、より高い成果がでる。というものでもない。
心が離れてしまえば、高いハードルを超えようという気持ちは生まれない。
離職者の多い職場は、考え直してみた方が良いかもしれない。
リーダや上司は目標を達成しようという意欲をもたらし、
成果をお互いに喜びあえるようにしておく必要がある。
一緒にやっていきたい。ついていきたいと、
思えるようにしておくことが重要になる。
そう、この言葉は、上司が部下に使うものではなくて、
自分の成長を考えたときや、革新が必要になったときの
自らの心構えとしてつかうものなのだ。