気づきの伝道師 藤井一規です。
おじさん度という言葉がある。
年齢はおじさん、おばさんだとしても、避けておきたい。
どんなことに気をつけていけば良いのだろうか?
しばらく考えていきたい。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/13391/
この記事の目次
「おじさん度というのは『だれでもこうするものだ』とか『みんなこうしてきたのだ』とかの言葉を、日常にどれだけ口にするかで測られる」
by 森 毅 (京都大学名誉教授)
誰もが大人への道を歩んでいく。
おじさん、おばさんは、自分が歩んできた実績をもっている人たち。
その経験を活かしていきたいもの。
しかし、効果的に働いていないことの方が多い。
どうしてなのでしょう?
<時代は変わる>
私たちは一度きりの人生を送っている。
だから、自分が経験したことも基本一度きり。
自分が体験してきたときの環境は、すっかり変わってしまってることもある。
やってきたことがベストだった環境や社会背景は
もはや存在しなかったりする。
だから、自分のやってきたことがベストのものだと
主張することには危険が伴うはずだ。
しかし、自分の体験を人生の先輩として、語りたくなってしまう。
<科学の進展>
あいまいなことにも科学のチカラが及ぶようになってきた。
従来の勘と経験で済まされてきたことが、
科学的な根拠を持つようになってきた。
例えば、人間の脳は、最高の可能性を持って生まれてくるが、
成長とともに、不要な機能を切り離そうとする働きがあることがわかってきた。
微妙な音の違いを聞き分けなくてはならない言語があるが、
幼少期に、そこまでの能力は必要ないな、と判断すると、
使用できなくしてしまう、
こういった話から、幼少期の言語教育は大切。
という話が盛り上がったりする。
<統計の進展>
しかし、東大出身の親を調査すると、
幼児期の英語教育には消極的という傾向がある。
なにも頑張って幼児期に学ばなくても、何とかなりますよと
伝えていくれています。
たしかに、その特定の言語が話せるかどうかよりも、
自分で考えることができ、それを表現するチカラがあるかどうかの方が、
より重要なことだ。
こうした統計的な調査が行われ、
効果的なアプローチとされるものは、変化していくのが妥当だ。
<おじさん度>
人生の先達として、自分の子どもや、後輩や若い世代に
「こうするものだ」「みんなこうしてきた」と伝えるのは、
経験として、人生で乗り越えてきたことの価値を確認する時間につながっている。
だからついつい、語りたくなってしまうもの。
おじさん度は、過去を振り返っての発言の多さでわかるもの。
独り言や多くなったり、最近の若い奴は・・・なんて
説教っぽくなったりしがち。
<おじさんも未来を>
若い世代にとって、ベストがこれって親の世代だった
20何年前から変わらずにあったり、決まっているわけではない。
過去やってきた自慢よりも、
これからの人生において、自分が何を大切にしていくか、
おじさん、おばさん世代であろうと、自分の未来に向けて
大切にしていきたいことを示していきたい。
若い世代も、おじさん・おばさん世代も、
未来に向けて生きていくことは同じ。
そのための姿を示していけばいい。