気づきの伝道師 藤井一規です。
友人とは、どんな人でしょうか?
普段親しく付き合っている人であっても、
友人と、そうでない人との差があったりするといいます。
しばらく考えてきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/13495/
この記事の目次
「利害関係ができたときにはじめて、友人かどうかが分かる」
by ユダヤの格言
付き合いの量が多い人であっても友人とは言えない人もいる。
自分がうまくいっているときには、友達というひとは増えてきたりしますが、
うまくいかなくなると、去っていったりするもの。
友人とは、どんな人なのだろう? 手に入れていくにはどうすればよいだろう?
もうすこし、考えていく。
<選挙>
選挙の候補者を想像してみる。
選挙が行われ、選挙運動をしている間、
選挙事務所には、候補者を支援しようとする人たちが
熱気を持って集まっている。
当選すれば、その熱気は続いていくかもしれない。
しかし、落選すれば、その瞬間からさっきまでの熱気はどこへやら、
潮が引いていくように、人はいなくなってしまうという。
多くの人たちは、メリットを享受できるからそこにいようとしていたりする。
そして、もはやメリットがない、と思ったら、去っていってしまう。
それでも、残っていく人もいる。
友人とは、そこにメリットがあるかどうかを超えて
付き合える人たちと言えるかもしれない。
<避けたい友人/持っていたい友人>
もちろん、傍にずっといれば望ましい友人かというと、
ときには有害な友人というのもいたりする。
相手の時間を占有しようとしてくる友人は問題かもしれない。
お互いの一人の時間を大切にするのも重要なことだ。
自分が困ったときだけ近づいてくる友人というのも避けたい。
利益を求めてくるのではなく、ときに、ただ共に居たいとか、
分けあおうとやって来てほしいもの。
あなたをコントロールしようとしてくる友人も避けたい。
ありのままのあなたを受け入れ、寄り添ってくれる友人がいい。
お互いの違いを認めつつ、尊重し合える関係がいい。
<まずは自分から>
友人を作りたいと思ったら、
相手にとって、持っていたいなと思える友人に相当する人に
あなたの方からなっていく。
相手に分けあうこと、与えることを考え、相手の気持ちを、思いを知ろうとし、
そのままを受け留め、寄り添って、大切にしていく。
利益を求めようとする人たちがほとんどの中、
利害を超えた関係を持てる人はとても有り難いもの。
そうしていけば、心のつながりをきっと増やしていける。