気づきの伝道師 藤井一規です。
人によっては、どうしてもできないことがあります。
役割として求められていることと、自分が大切にしている価値観が矛盾すれば、
両立させることは困難になってしまいます。
向き、不向きということになっていくのかもしれません。
もうすこし考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/13597/
この記事の目次
「良心に照らして少しもやましいところがなければ、何を悩むことがあろうか。何を恐れることがあろうか」
by 孔子(中国の思想家、儒家の始祖)
自分の大切にしていることと、求められていることとは、
ギャップがあることがある。
そのときに、自分の良心に照らしてみることは、一つの基準になっていく。
自分の良心に照らしてみることとは、どういうことだろう?
もう少し掘り下げていく。
<求められること>
例えばビジネスの世界では、無理難題がやってくることがある。
マネジメントは、困難と分かっていても
それを実現させることを求めていく。
ときに、強引な、無碍と思えるような要求になっていることだってある。
ビジネスを健全に続けていくために、
乗り越えなくてはならない壁なのだとしたら、
実現させることを考えていかなければならない。
会社がつぶれるかどうか、というような状況なら
なんとしてでも守っていく必要がある。
また、それが部下の能力を開発したり、
不可能と思われることを可能にする経験を生むことに
つながっていくこともある。
<矛盾と出会ったとき>
強引で、無碍な要求かもしれないと分かっているとき、
そのまま要求することに価値を認めて実践していくひともいれば、
それはできないと思う人もいる。
周りから求められていることと、
自分ができることには、ギャップがある。
できないことによって、失うものもあるかもしれない。
同時にやらないことによって、守られているものもある。
どちらを選んでもよい。
その選択を積極的に認めていきたい。
<大切にする価値観と役割>
自分の中でも複数の価値観が対立するようなこともある。
自分がより大切にしたい価値観はどちらなのか、
選択して進んでいけばいい。
その選択を、誰も批判することはできない。
誰が何と言おうとも、
自分のした選択を胸を張って進んでいけばいい。
自分の選択に適した役割に変わっていけばいいのだ。
誰に批判されようとも
その誰かがあなたの人生を歩んでくれたり、
なんとかしてくれるというものではない。
<自分の人生は自分で>
自分の人生は、自分でなんとかしていかなくてはならない。
それには、自分が選択した価値観を胸を張って、
しっかり大事にしていくことが基本になる。
他人のせいにして、他人の責任に押し付けてしまいたくても、
自分の人生はそういうわけにはいかない。
自分の人生は、大切にする価値観を、大事にしていくところから
始まっていくのだ。