気づきの伝道師 藤井一規です。
生きていれば、思い通りにならないことがあります。
目指している道が閉ざされていると感じることも。
もう、八方塞がりのように感じるとき、
どのように対応していけばよいのだろう?
もうすこし考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/13617/
この記事の目次
「ひとつのドアが閉まっている時、もっとたくさんのドアが開いているんだよ」
by ボブ・マーリー(ジャマイカのレゲエミュージシャン)
自分が求めているところへ進むためのドアが閉まっていると
行き詰ったように感じることがある。
しかし、実際にはほかのドアが開いていたりするもの。
もう少し掘り下げていく。
<扉が閉じているとき>
目指すものを定めているとき、
何らかの邪魔や、障害に出会うことがある。
次へつながるドアが、どうしても開かないことがある。
そんなときは、もはやお終いと感じてしまうかもしれない。
しかし、気づいていないだけで、開いている扉は必ずある。
目の前の扉が閉じているのには、何か理由がある。
まっすぐ通れないほうが良かったりするのだ。
<意味があって起きている>
人生には様々なことが起きる。
中には、辛く、大変なことが起きるかもしれない。
しかしそれは、きっと何か意味があって起きている。
運だけで進まず、地力、実力をつけてから進め、ということかもしれない。
新しい視点を持て、ということかもしれない。
人生としてみたときに、最善の方向に向かうために
起きているのかもしれない。
<マイナスとも向き合う>
苦しむこと、迷うことも、人生において
向き合う必要のあることだったりする。
自分の中にある本質に気づく、またとない機会なのかもしれない。
何か大切なものをわからせようとする働き、
気づかせようとする働きが、起きているのかもしれない。
起きていることを肯定的に受け止めることができたとき、
新しい気づきが生まれてくる。
<進むべき扉>
そのとき、別の扉が開いていることに気づくことができるかもしれない。
何度押しても開かずに、閉じていると思い込んでいた扉は、
引いてみたら、あっさり開いたりするかもしれない。
困難で避けたい事態がやってきても、
より望ましい人生のために、必要なことが起きていると捉え、
しっかり向き合っていきたい。