気づきの伝道師 藤井一規です。
自分を認めてもらいたいという気持ちはだれにでもあります。
だから、優れているように思われたいという気持ちがあったりします。
しかし、自分に自信があれば、見せかけを保つ必要はありません。
もう少し考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/13642/
この記事の目次
「強く見せる努力は止めて、強くなる努力をすべきだ」
by アルフレッド・アドラー(オーストリアの精神科医、心理学者)
自分をよく見せたいという思いは理解できる。
しかし、そのために苦しみを伴う努力を続けるくらいなら、
その努力は自分を鍛えることに向けていったほうがいい。
もう少し掘り下げていく。
<誰にも自信が持てないことがある>
誰にも自信が持てないことってあるもの。
そのとき、どんな反応をしているだろうか?
誰かとの優劣で比べて、自分に×をつけてしまうひともいる。
しかし、考えてみれば誰にだって不得意なことはあったりするし、
生まれた時からすべてができるなんてことはありえない。
誰にも自信をもってできないことはあるはずなのだ。
<自信が持てない事態に出会ったとき>
自信が持てない事態に出会ったとき、
その状態をそのまま受け留め、認められれば、
誰かに助けを求めることもできる。
しかし、自分に自信がないことを認めようとしなかったり、
自分に自信がないことがわかっても、
他人からはそう思われないようにしようと、画策することがある。
その努力は、大変なもの。
しかも、一度やってしまうと、次に同じようなことに出会ったら
また覆い隠す工夫をあれこれしていかなければならなくなってしまう。
<できるようになろう>
この覆い隠すという手法に囚われてしまうと、
どんどん苦しくなっていく。
覆い隠そうとする範囲は、どんどん増えていってしまうからだ。
ならば、その状況にはまる前に素直になって教えを請うたり、
学ぶ機会を得るようにしていきたい。
覆い隠す努力の分、自分の成長のために努力を重ねていきたい。
<きっと成長できる>
たしかに、かっこ悪いことかもしれない。
しかし、表面を取り繕い続けることのほうが、ずっと大変なことになる。
素直に今の状態を認め、
素直に助けを求めたほうが、ずっと楽だし、
自分の成長につなげていくことができる。
実力がついていけば、表面を飾り立てる必要はなくなる。
基礎が、中身がしっかりしていれば、
自分らしくいさえすればよくなっていく。