気づきの伝道師 藤井一規です。
人生何を目指していくのでしょう?
出世だという人もいます。
お金持ちになることだという人もいます。
そうではないという人も。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「人間、出世したかしないか、ではありません。卑しいか卑しくないかですね」
by 永 六輔 (ラジオ番組パーソナリティ、タレント、随筆家、元放送作家、作詞家)
出世したかどうかよりも、卑しいかどうか。
そういう視点で人生を捉えてみたら、どうだろうか?
<かっこを付けたい>
誰しも格好を気にするところがあったりする。
どんな服装をするか、というのも一つの格好だといえる。
それが、自分を表現することではなく、
誰かからみられることへの意識だけになっているとしたら、
自分をしばりつけてしまっているかもしれない。
人生においても、格好をつけたい
という気持ちがあったりする。
肩書とか、有名になるってことは、
誰にもわかりやすいものだといえる。
<どんな肩書があっても>
しかし、どんな肩書があろうとも、どれほど有名になろうとも、
卑しい生き方をしているのだとしたら、残念と言わざるを得ない。
肩書をかさに着て、だれかを傷つけているのだとしたら、さらに問題だ。
最近のニュースでも、政治家、大学教授、スポーツ選手など、
パワハラのケースはよく起きていたりする。
お隣の国では、元大統領関係者が罪に問われることがとても多い。
力を失ったとたんに、追及の手が伸びているという図式だ。
肩書とともに、利権をもってだれかがすり寄ってきたり、
パワーや利権を求めてしまっていたりするのは想像できる。
<商売では>
ビジネスや商売は、お金を稼ぐ必要がある。
していることがお金と直結するだけに、
心がお金に囚われやすくなる。
そして儲けることばかりに意識が向かうと、
心が卑しくなってしまいがち。
商売は徳をもってせよ。と言われるゆえんだろう。
お金を稼ぐことも重要だけれど、
相手の満足を提供することが、まず存在する必要がある。
<富める者とは>
富める者とは、必ずしも経済的に豊かな者とはかぎらない。
経済的に豊かだったり、権限や名誉に恵まれているはずなのに、
さらにむさぼることばかりを考えているとしたら、
貧しさを伴っていることになる。
経済的には恵まれていなくとも、
心が豊かな者も、富める者だといえる。
豊かな心をもっていれば、
誰かを貶めることも、傷つけることもしなくても済む。
卑しいかどうか。望ましく生きているかのを知るのに有効な基準かも。