気づきの伝道師 藤井一規です。
誰かの悪口を聞く、あるいは言ってしまう。
そんな場面を経験することがあります。
共感できたりして、楽しかったりもしますが、
言った人、同意した人に返ってきたりもします。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/13816/
この記事の目次
「人の悪口を言うのは楽しいが、常に必ず全部自分のところに返ってくるものと思へ」
by 梅崎春生(小説家)
誰かの悪口に出会ったとき、どのような対応をしているでしょうか?
悪口は自分に返ってくるというこの言葉、
しばらく考えていきます。
<悪口が及ぼす効果>
誰かの悪口を言うことで、
心に溜まった、不満を発散することができる。
また自分の優位性を感じたりすることができたりする。
共感してくれる仲間がいたりすると、
結構盛り上がったりする。
誰かの悪いうわさや悪口に時間を費やしてしまったりすることは、
意外と多いのでは?
上司の悪口を肴にお酒を飲むなんて話も
以前はよく聞いたものだ。
確かにストレスの発散だったり、という面では役立つことがある。
<悪口を言った相手には>
しかし、あの人が私の悪口を言っている。
と知ったとしたら、私は、悪口を言った人を好ましくは思えなくなる。
悪口は、対象となる人のいないところで話されるもので、
届きはしない、と思って話している。
しかし、人と人はどこかでつながっているもの。
巡り巡って、対象となった人に、いずれは届くと考えたほうが自然だ。
たとえ、悪口を言ったひとが軽い気持ち、
こうしたらもっと良いのに、と思った程度だとしても、
「悪口を言った相手」だと思ってしまったら、
嫌な相手として偏った感じ方を持ってしまうだろう。
<人は変化・成長する>
悪口の素は、ある時点のある発言や行動を捉えたことによる。
しかし、人は変化・成長してくものであり、
いつまでも同じ状態ではない。
ひょっとしたら、体調が悪く
いつもの状態ではなかった可能性だってある。
あるとき、大きく考え方が変わり、
行動も変化していくかもしれない。
悪口によって、マイナス方向の関係を固定化してしまうのは
もったいないことをしているのかもしれないのだ。
考えてみれば、自分だって完璧なわけではない。
誰もが長所とともに短所を抱えながら生きている。
不必要に敵を増やすのは残念なことかもしれない。
<返ってくるなら>
また、悪口をいうということは、その場面を思い出したり
感じていたりすること。
つまり以前の嫌なことを繰り返し思い出していたりするってこと。
できれば嫌なことに意識を向けるより、
望ましいことに意識を向けたいもの。
それに自分の弱点に目を背けるために、
他の誰かを攻撃しているとしたらもったいない。
うまくいくところがあり、うまくいかないところがあるのは
お互い様だったいする。
より望ましくなっていくように意識を向けていきたいし、
ストレス発散は、別の方法を考えていきたい。