気づきの伝道師 藤井一規です。
人生、思い通りにいくとは限らない。
避けようがない障害に出会い、苦しむこともあるだろう。
そんなとき、自分を貫くのか、どうか。
しばらく考えていきたい。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/13836/
「折れるより、曲がるがまし」
by フランスのことわざ
自分を貫くことは素晴らしい。
しかし、そのことで先がなくなってしまうのだとしたら、
どうすべきだろう?
<強大な敵>
自分を貫こうとするのは、素晴らしい。
しかし、強大な敵が現れたとき、
自分には受け入れ難いからと、いつも正面から刃向っていくとしたら、
二度と立ち直れなくなってしまうかもしれない。
まともにぶつかったのでは勝てないとわかっていれば、
何らかの手段を講じる必要がある。
戦国時代、兵力、武器を比べて、敵のほうが有利ならば、
何の戦略もなしで、ただ正面からぶつかるのは自殺行為に近い。
兵力、武器の差を埋めるための戦略、作戦を立てる必要がある。
<まっすぐなもの>
思わぬことで、窮地に陥ってしまうこともある。
そんなときに、ただ抵抗し続けているより、
いったん冷静になって状況を見極め、
いったんはぐっと我慢していくほうが良いことがある。
戦いの場ではどこかのタイミングで、停戦したり、
講和を結ぶということもおこなわれている。
講和を結ぶ上で、通常、不利だったほうが
何らかのペナルティを与えられることになる。
なにかを失ったり、封印したり、我慢したり、
要求にこたえていくことになる。
<ときには曲げる>
第二次世界大戦後、占領軍は
日本の骨抜きを狙ったと言われている。
東アジアの小国でありながら、
欧米と開戦するというすごさを保有している。
だから戦後、占領軍は、
日本人のもつまっすぐなものをなくそうとしたそう。
手放せないからと常に立ち向かいつづけていれば
折れてしまうかもしれいない。
また、手放すことを強制されるかもしれない。
それよりも、ひととき曲げておき、
危険性はないと示しておくことは一つの知恵。
<機会をみる>
ただ単に正面から突破しようとし続けるだけでなく、
まっすぐにしておきたいことも、ときには曲げて、
機会を待ったほうが望ましいこともある。
折れてしまっては取り返しがつかないからだ。
曲げただけなら、いつの日かまっすぐにすることができる。
処世術として、意識しておいてもいい。