気づきの伝道師 藤井一規です。
クリスマスは世界に優しさが増えていく特別な日。
キリスト教徒ではなくても、クリスマスでおこなわれていることは受け留められやすい。
クリスマスとはどんなものか、もう少し考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/13948/
この記事の目次
「クリスマスとは、ちょっとした余分のことを誰かのためにしてあげること」
by チャールズ・シュルツ(米の漫画家)
クリスマスは、もともとイエス・キリストの降誕を祝うお祭り。
なんだか町も楽しい、幸せな雰囲気を増していく。
サンタクロースやプレゼントが結びついたりもして、
特別な雰囲気を持っている。
<プレゼント>
クリスマスというと、プレゼントが登場し、
楽しみだったり、何を贈ろうかと迷ったりもする。
どうして、クリスマスにプレゼントなんだろう?
そんな疑問を持ったことはないだろうか?
クリスマスに贈り物をするのは、キリストが生まれたとき、
東方の三賢人が、贈り物を持ってやってきたことに由来するらしい。
カスパール、メルキオール、バルタザール。
占星術に長けた3人は、ベツレヘムでユダヤの王さまが生まれたとわかったという。
この誕生祝の贈り物が、親から子へ、家族や大切な人との間で、といった
プレゼントへと発展していったという。
誰かのためにプレゼントを用意する。
その心のありようがうれしい。
<誰かのために>
プレゼントは受け取った人が喜んでくれるものが望ましい。
相手のことを考えて、その人のためにプレゼントを用意する。
このプロセスそのものが、優しい気持ちを増やしてくれる。
改めて、普段伝えきれていない気持ちを伝えるのに、
プレゼントとともに、というのは効果的。
相手は、何を望んでいるだろう?
なにがあれば、喜んでくれるかを想像する時間。
どちらかというと、自分のほうに向きがちな意識を、
大切な誰かのために向ける時間。
<できる範囲でもいい>
クリスマスだからと、特別扱いしてしまいがち。
プレゼントも頑張って、目が飛び出るような
高価なものになったりなんてこともある。
しかし、相手のためを思ってすることは、
金額の多寡で評価するものではないはず。
例えば、今やっていることをちょっとだけ増やすなら、
それほど無理しなくても、ちょっとだけ余分ができる。
できる範囲でつくった何かを、必要としている人たちに届けるのだっていい。
一人一人が、わずかでも誰かのために用意していけば、
とても大きな規模になっていく。
世界中が優しい気もちに包まれていく。
相手のことを思うひととき、
それを表現しようとするひととき。
金額の多寡よりも、自分のことを考えてくれる人が
いることのほうが、はるかにうれしい。
クリスマスは、そんな機会を作ってくれる。