気づきの伝道師 藤井一規です。
許せないことってあるもの。
しかし、許すことができれば、自分に自由を与えることができます。
そして、「許す」の上をいくものとは何でしょうか?
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/14088/
「許すはよし、忘れるはなおよし」
by ロバート・ブラウニング (英の詩人)
許せない、という思いに囚われていると、
自分を苦しめる要因を持ち続けることになる。
もう少し掘り下げていく。
<許せない>
許せない!という思いを抱けるということは、
あなたに大事なモノがあり、
それを大切にしたいという思いがあるということ。
まもるために、怒りのエネルギーに火をつけるってことだ。
このことは、素敵なことだって言える。
しかしながら、この許せない思いを抱えたままになったり、
火種をいつまでも抱え続けているとしたら、どうだろう?
怒りの感情を持ち続けることは、
幸せだといえるだろうか?
恨みの気持ちを募らせていることは、
望ましいことだろうか?
<許せる?忘れられる?>
だから、「許す」ことを考えてみる。
さらには、「忘れる」ことができたなら、
より確実にマイナス状態から解放されることになる。
もちろん言葉の上で「許す」といっても、
そう簡単にできるモノではないだろう。
さらに「忘れる」ほうが上だからといって、
忘れられるはずもないだろう。
大きな心のエネルギーを引き起こすような
重大なことのはずなのだから。
ただ、こんな過去の遺恨について考えるのはやめよう、
より幸せになるためにどうしていけばよいかについて考え、
行動していくことはできるはず。
<自分のために>
そこで、相手のためにする、というよりは、
自分のために許すことを考えてみてもよいかもしれない。
何らかの事情があったのかもしれない。
自分の意思とは関係なく起きたことなのかもしれない。
二度と同じようなことが起きないように
何があればよいのか、考えてみる。行動してみる。
自分と同じような遺恨を抱えるひとを増やさずに済むようにできたなら、
きっと大きな成果になっていく。
そして、その結果、自分に起きたことを
忘れてしまってもよくなったとき、
より幸せな状態を生み出せた!といえるのではないだろうか?
幸せな笑顔を守るために、生み出していくために
何ができるのか、考えていきたい。