気づきの伝道師 藤井一規です。
人は不完全な状態で生まれてきます。
人は万能ではなく、限界があります。
しかし、それがゆえに持つ力もあります。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「欠陥がわたしの出発の基礎だ。無能がわたしの根源だ」
by ポール・ヴァレリー(仏の詩人、思想家)
誰しも完全、完璧な人はいない。
万能な人なんていない。
だからこそ、できることがある。
もう少し掘り下げていく。
<完全だとしたら>
誰もが不完全さ、能力のなさに直面するもの。
どんなひとだって、完全だとは言えない。
もし、完全な人がいるとしたら、
おそらくそれ以上の成長をしようとはしなくなるだろう。
もし完全な形をしたものを大きくしようとすれば、
完全な状態のものを付けないかぎり、
完全な形を保つことができない。
なにかがちょっと増えた瞬間、完全な形は乱れ、
不完全な状態になる。
<成長の意欲>
だから、成長を考えたとき、不完全だからこそできることだといえる。
大きくなろうとするとき、必ずアンバランスな状態が生まれてくる。
もっと増やしたいところがあるから
成長をしようという意欲も生まれてくる。
ひとつは、自分の至らないところ、不十分なところがあるから、
そしてそれに気づくことができたから
何とかしたい!何とかしよう!という意欲が生まれてくる。
もうひとつは、さらに伸ばしたいところがあるから、
もっと伸ばしていこう!という意欲が生まれてくる。
<不完全だからこそ>
不完全だからこそ、能力の足りないところがあるからこそ、
つながりあうことができる。
人によって、不完全なところは異なるもの。
例えば、お金計算の苦手なひともいれば、
得意とする人がいたりする。
新しいことに取り組むことに向いている人もいれば、
出来上がったものを維持発展させることを得意とする人もいたりする。
抜きんでたところが異なる人がいるから、
つながりあうことができる。
つながりあえば、一人だけでするよりも、
大きなことを扱うことができるようにもなる。
<だから完全>
不完全だからこそ、無能な面があるからこそ、
成長していこうという意欲が生まれてくるし、
うまくつながりあっていこうという気持ちが生まれてくる。
不完全だからこそ、完全になろうとすることで、
より大きな存在になっていけるのかもしれない。