気づきの伝道師 藤井一規です。
落ち込んでいても、何もしなくてよい
というわけではなかったりします。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「たとえ落ち込んでいても、することはしないと車輪は回っていかない。弱くてもいい。 けれど、その弱さを言いわけや武器に使ってほしくない、と思うのだ」
by 吉元由美 (エッセイスト、作詞家)
弱さを抱えた人は多い。
脆い、危ういバランスの上で生きている人もいる。
しかし、それを言い訳にしたり、
武器にしたりするのは考えもの。
もう少し掘り下げていく。
<生きていくために>
どんなにふさぎ込んでいても、落ち込んでいても、
それが永遠には続かないことを私たちは知っている。
大切な誰かのために頑張ったり、
生活していくために踏ん張ったり、
なにかをして、進み続けていく。
大きな力は出ないかもしれない。
素晴らしい知恵が出てくるわけではないかもしれない。
たとえわずかでも、少しでも、進んでいくことができるなら
それを続ければ、きっと遠くまで行くことができる。
<弱さを武器にするひと>
ときに、自分の弱さを言い訳に使ったり、
武器に使おうとするひとがいる。
弱さを前面に出して、誰かに救ってもらうことを、
手を差し伸べてもらうことを求めようとするひとがいる。
過去にうまく支援を受けて、楽をできたとに味を占めたりして、
可愛そうな自分を演出してしまうような場合だ。
涙を悪用するような例もあるかもしれない。
やはりそれは残念なこと。
もちろん、何度も繰り返していれば、そのうちバレてしまうもの。
次の犠牲者を探すことになったりする。
<自分のチカラで>
どんなに見栄えは悪くても、進みは遅くとも、
自分なりに進むつもりで、自分のできることをやっていきたい。
比べたら弱々しく見えようとも、情けなく感じられようとも
自分の全力を出していれば、それは決して弱いものではない。
何かを与えられることを期待して、浮ついたままでいても
自分らしく生きていくことは難しい。
ただ、流されていくだけになってしまう。
自分の道を、自分のチカラで、自分のできる範囲ですすんでいけばいい。
そうしているうちに、求めなくても
支えてくれるものが現れたりする。
何かに頼り、流されていくのではなく、
自分が自分らしく進むうえでの支援がえられるのだ。