気づきの伝道師 藤井一規です。
過去にあった嫌なことを忘れるのは、
ひとつの対処法。
しかし、体験の意味が大きければ大きいほど、
忘れることは難しい。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/14148/
この記事の目次
「真の和解はただ単に過去を忘れ去ることではない。」
by ネルソン・マンデラ(南アフリカ共和国の政治家、ノーベル平和賞受賞者)
私たちは現在を生きている。
けれど、同時に経験してきた過去も連れている。
過去とどのように付き合っていけばよいのだろう?
<過去に蓋をする>
過去の体験には、忘れてしまいたいもの、
二度と思い出さないように、蓋をしてしまいたいものがあったりする。
誰かとの遺恨のこともあるかもしれない。
思い出したくない自分の失敗体験かもしれない。
普段は、過去にあったことに気づかないように、
なかったことにして生きていくこともできる。
しかし、ときおり蘇ってきたりして苦しんだりする。
また、強引に抑えつければ、抑えつけるほど、
反発して、飛び出そうとするチカラも大きくなるもの。
ときに、こうしたエネルギーは身体症状となって現れたりする。
できものができたり、痛みとなったりなど、いろいろなパターンがある。
なかったことにすることは難しく、
忘れさせまいとして、何らかの不快な症状として現れたりする。
<和解で解決するか?>
そう、やはり蓋をして抑えつけるのには限界がある。
何らかの形で、過去を完了させていく必要がある。
裁判などでも知れているが、遺恨の解決として
和解と称して、慰謝料や、何らかの穴埋めを得ることもできる。
それで、溜まった思いが解消されるケースもあるかもしれないが、
多くの場合、心にもやもやを残したままになりがち。
和解は異物で心の傷や、心の隙間を埋めようとするものになりがち。
ある程度強引になかったことにしようとがち。
多くは目の前のもので代用し、
忘れたふりをしようとするパターンのほうが多い。
<真の和解>
真の和解にはやはりもう一度、蓋をして隠したものと正面から対峙する必要がある。
あれほど考えたくない、見たくない、感じたくないモノだと思っていても、
今の時点で取り出してみたら、意外に大したことないかもしれない。
取り出してみて、そこにはどんな素敵な意図があると考えられる?
しばらく探究してみる。
悪意を向けてきた!とばかり思いこんでいたことが、
実は、私のためを思っていたり、好意から起きている可能性もある。
また、その経験があったことで、人生においての
大きな学びを得られたかもしれない。
その体験の価値をもう一度考え直してみる。
自分の中でその体験の意味に納得がいったとき、
今まで悪魔のように感じられていた過去が、
別の感じ方をもたらしてくれることに気づくだろう。
人生の体験は、きっと何かの役に立っている。
抑えつけて持ち続けるよりは、完了した感覚をもち、
手放して自分の人生の博物館に保管したほうが楽になれる。