気づきの伝道師 藤井一規です。
私たちは何をして生きていくのか?
未来にあるものを知りたい、と思う気持ちも大切だけれど、
それよりも優先すべきこともあります。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/14174/
この記事の目次
「疑いもなくわれわれの大きな仕事は、遠くにある不明瞭なものを知ることではなく、手近にある確実なことを行うにある」
by トーマス・カーライル (英国の歴史家、評論家、文学研究者)
何が未来の正解か、そればかりを意識していると、
どこに向かって一歩を踏み出せばよいか、決まらなかったりする。
もう少し掘り下げていく。
<人生の正解>
自分の人生の正解がどこにあるかを求めようとする人は多い。
自分は何に向いているのか?
どこに向かえば幸せになれるのか?
迷ったままになっていたりする。
しかし、人生に正解ってあるのだろうか?
人は同時に複数の選択肢を歩むことはできない。
分かれ道で、一つの道を選んだら、
他の道を選んでいたらどうなっていたかを
真に知ることはできない。
例えば、結婚相手を一人に定めたら、
他の人と結婚したらどうなっていたかは、想像の域を出ない。
ひとつの選択しか体験できないとしたら、
どれが間違っている、ということはない。
<正解かどうかより>
そう、たとえ選んだ道の方向がおかしかったと気づいても、
進む先を変えていくことができる。
納得できるところに向けて行くことができる。
ああ、これで正解だった。としていける。
一度選んだ後、正解だったのかどうかに気持ちを奪われ、
後悔し続けるより、これから先どうしていくか?
のほうに意識を向けていきたい。
悩み苦しみの状態のままとどまり続けるよりは、
新しい状態に踏み出していきたい。
よく、失敗したくない。という人もいたりするが、
失敗したからこそわかることはいっぱいある。
何事もなく、順風満帆の人生もいいかもしれないが、
山あり谷ありの人生もまた素敵かもしれない。
旅にでたときでも、想像どおりのことばかりもいいけれど、
なにか思いもよらない体験があったほうが、
あとからしたら人生の宝物になったりする。
<手近なところから>
進みたい方向がわかっているなら、
通過するはずのポイントと、そこにたどり着くための道筋を考えることができる。
こうして、小さなステップにしていけば、
手近なところでしなければならないことが見えてくる、わかってくる。
少しずつでも踏み出していけば、小さな山を登ることができる。
すると今まで見えていなかった、先の景色も見えてくる。
まったくわからなかった遠くの不明瞭な未来も、
進んでいけば、次第に明らかになってくる。
まず、手近な確実なところから始めていけばいい。