気づきの伝道師 藤井一規です。
調査や研究が進むと、子供のころ学んできたことが
訂正されたり、事実ではなかったかもしれないという事例があります。
特に歴史においては、ときに従来とは全く違う説が正しいとなったりします。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/14197/
この記事の目次
「いつの世も正史は勝者の歴史」
by 洋泉社編集部(「歴代天皇125代の謎」より)
もっともらしく語られている歴史は、
捻じ曲げられている可能性がある。
それはなぜなのか、
もう少し掘り下げていく。
<正当化>
過去のことを知るには、記録に残されているものを
頼りにするのは妥当なことだろう。
では、こうした記録を残したのは誰なのか?
例えば、権勢を巡って対立している二つの勢力があって、
戦いによって勝者が敗者を滅ぼしてしまったとしたとすれば、
勝者が考えるのは、相手を滅ぼしたことをいかに正当化するか
というところに向かう。
たとえ、勝者のほうが腹黒かったとしても、
自分を正当化するように記録を残そうとするだろう。
記録を残し、保存していくには、
それなりのお金と労力がかかるわけだから、
権力やお金を握った勝者が、都合よく編集している可能性が高い。
<事実はどこ?>
中大兄皇子、中臣鎌足らをヒーローとする大化の改新に関連して、
蘇我入鹿は暗殺され、蘇我一族は滅ぼされている。
歴史の時間では、悪者として学んだ記憶がある蘇我入鹿、
そしてヒーローの中大兄皇子だったのだが、良く調べていくと、
どうも朝鮮半島出兵に失敗した中大兄皇子が、
自分にとって代わる可能性のある蘇我入鹿を悪者に仕立てて、一族を滅ぼし、
ヒーロー性をアピールした、というほうが当たっているらしい。
正史とされている日本書紀にある、中大兄皇子が正当性を主張している部分には
改ざんの形跡があり、証拠とされているものも明らかな間違いだったりする。
こうした事例は、いっぱいある。
権力を握った者が、自分の血筋について、
○○天皇の流れを汲んでいるとか、なんとかして正当化するような例もある。
<多視点から捉える>
だから、一方の主張だけを聞いただけで信じていると、
知らないうちにとんでもないウソを信じ込むことになったりする。
これは、何も独裁国家だとか、権力者のもとでおきるだけ、
というようなことではない。
私たちの身近に日々おきていることだ。
事実は何なのか知るためには、
多くの視点からの情報を手に入れて、判断する必要がある。
対立する2勢力があるのなら、少なくともその両方、
できれば、利害のない第三者からの情報が有力なものになる。
情報は、情報源を確認したり、
誰の視点のものかをよく見極めておきたい。
一つの情報は、ひとつの視点からの真実なのだ。
ということを判って、扱っていきたい。