気づきの伝道師 藤井一規です。
人は一人では生きていけないと言われます。
そして自分さえ幸せならOKのように思えるか?
というと、そうではないらしい。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/14297/
この記事の目次
「私たちは皆、互いに助け合いたいと思っている。人間とはそういうものだ。相手の不幸ではなく、お互いの幸福によって生きたいのだ」
by チャーリー・チャップリン(英国出身の映画俳優、映画監督、コメディアン、脚本家)
人間は人の間と書くように、一人だけでは存在することができない。
もちろん、自分は幸せでありたいが、
自分だけが幸せでほかの人が皆不幸になったとき、
本当の幸せを感じることはできない。
もうしばらく考えていく。
<自分の幸福>
誰しも通常なら、自分が幸福であることを求めようとする。
もし、不幸だと感じているのなら、なんとかしたい。
幸福になりたいと思うもの。
ときには、他人を蹴落としてでも!
と考えることがあるかもしれない。
例えば、合格の人数が決まっているとしたら、
その枠に入るために、他の人たちより優れようとするもの。
<他の人の幸せ>
さて、自分が幸せになれたとき、
自分の周りの大切な人が不幸だったとしたら、どうだろう?
確かに、自分が幸せになることは、
誰もが目指すところ。
しかし、自分の大切な人が不幸だと、
やはり心の中は穏やかにはなってはいかない。
身近であればあるほど、大切であればあるほど
その相手の幸せ度合いはあなたに影響を及ぼす。
<助け合う>
人は、社会生活をすることによって、発展してきた。
社会生活は、お互いに関係を持ち、
必要なところで助け合っていくことでもある。
それぞれが役割を担っていたりして、
効率を上げてきた。
漁や猟をする人たち。
野菜や果物、穀物や動物たちを育てる人たち、
収穫したものを運ぶひとたち、売る人たち。。。
こうした役割分担もひとつの助け合い。
誰かのために貢献できることは、
自分の価値を認識できることでもある。
<お互いの幸福で生きる>
あなたが幸せになろうと勝ち取ったことで、
誰かが不幸になっているという感覚を持っているとしたら、
やはり心に引っ掛かりが生まれたりする。
その誰かも、自分の人生の幸せに向けて、
新たに進んでいこうとしていると思えるようになっていたい。
私たちは人間は、誰かの不幸を頼りに生きるのではなく、
お互いの幸福をもって生きていきたいのだ。