気づきの伝道師 藤井一規です。
報われるとわかっているものには
取り組もうと意欲が湧きやすい。
報われるとはわからない状況で
取り組み続けるのには大変さが伴います。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/14323/
この記事の目次
「何かに挑戦したら確実に報われるのであれば、誰でも必ず挑戦するだろう。報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションをもって継続しているのは非常に大変なことであり、私は、それこそが才能だと思っている」
by 羽生善治(将棋棋士、永世7冠)
人は報われるかどうかを意識しがちなもの。
報われるとわからないまま続けられるって、
大きな才能かもしれない。
もう少し掘り下げていく。
<報われる>
かけた努力があるとしたら、その見返りがあればうれしいもの。
かけたエネルギー、注ぎ込んだ思いが報われた!と感じられたら、
どれほど大変であったとしても、苦労を忘れ、喜びを得ることができる。
しかし、必ずしも報われるとは限らない。
どれほどの努力、時間を費やしたとしても、無駄に終わってしまうことがある。
いつ報われるかなんてわからないから、
たとえ報われる直前であったとしても、
あきらめてしまうかもしれない。
<続ける才能>
報われるかどうか、に意識が向かうと、
すぐに報われるようなことばかりに取り組みがちになってしまう。
どれほど素晴らしいことであっても、
報われないなら、という理由でやめてしまうってことがある。
それがいけないというわけではない。
向いていないことと考えて、別の道を選択することもOK。
ただ羽生善治永世7冠は、報われないかもしれないことに
情熱を、気力を、モチベーションを持ち続けるのは大変であり、
それができることこそが才能だと指摘している。
続けることは、他の人より抜きんでるための重要な要素だからだ。
<何に喜びを見出すか>
単に報われないから、という理由だけでやめてしまうのは
もったいないかもしれない。
それが、自分のやりたいことであれば、
報われるかどうか、よりもきっと価値を見出すことができる。
大切な意味を持つものならば、
取り組むこと自体に喜びを見出していけるはず。
ただ、誰もが報われたと思いたい、
報われたと感じたいと思っていることも事実。
あなたが何かを目指して地道に努力をしている人に気づいたら、
温かい言葉やメッセージを贈っていきたい。