気づきの伝道師 藤井一規です。
結果がすべて、なんて言われたりしますが、
どれほど頑張っても、必ずしも結果が出るとは限りません。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/14353/
この記事の目次
「最善の努力を尽くしたら、後は神の意思にゆだねなさい。そして神の決めたことに納得しなさい」
by ユダヤ人の格言
最善を尽くしたのなら、
そのあとのことを心配しても仕方のないこと。
そんな割り切り方も大切。
もう少し掘り下げていく。
<結果が出るかどうか>
最終的に結果は、自分で決められるものもあれば、
自分のチカラでは決められないものがある。
そして、自分では結果を決められないもののほうが
圧倒的に多いといえる。
どれほど時間と熱意を注ぎ込んだとしても、
それが望んでいた結果をもたらすとは限らない。
例えば、オリンピックで金メダルを目指す人はたくさんいるが、
金メダルは一つしかない。
努力の質と量が金メダルに近づけてくれるけれど、
単純にそれでは決まらない。
天候といった環境をはじめ、
運の要素も大きく左右する。
<思い悩んでも>
だから、注ぎ込んだ分だけの結果が出るとは限らないし、
やれるだけやった後に、あれこれ心配したとしても
結果を変えることはできない。
自分の最善を尽くしたのなら、
結果については手放して待てばよい。
そして、それが自分の意に沿わないものだったからといって、
騒いでしまってもどうしようもないこと。
自分で決められることではないのだから、
思い悩むのはもったいない。
<最善か?>
ただ、自分が頑張るとき、
自分の思うところ、考えるところの最善をするのだろうけれど、
それが「最善」とは言えないかもしれない。
自分の知りうることの範囲には限りがあるからだ。
そこで、専門家の知識を借りたり、様々な世界に触れて、
より望ましいことはないのか?
と、追究していく必要があったりする。
近年、体幹を鍛えることで、様々なスポーツで
日本選手の成績が上がるようになってきた。
スポーツと体幹との関係は、最近注目されるようになってきているように
今はまだ気づいていないことがあるかもしれない。
<最善の努力と結果をゆだねる>
最善と考えられる努力を重ね、
その結果はゆだねて待つ。
そしてどんな結果でも、それは何か意味があってのことと受け留めていく。
さらなる工夫が必要なのかもしれないし、
進む方向を変えたほうが良いのかもしれない。
望ましい人生のために、考えていきたいもの。