気づきの伝道師 藤井一規です。
私たちは、生きていくために必要なものを得ていく必要があります。
収入であったり、食糧であったり、楽しみであったり。
しかし、それだけでは不足があるようです。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/14446/
この記事の目次
「我々は得ることで生計を立て、与えることで生きがいを作る」
by ウィンストン・チャーチル(英の政治家、ノーベル文学賞受賞作家)
生計を立てるためには、何かを生み出し、
生活に必要なものを得ていく必要がある。
しかし、得ることばかりを考えていると、
どうも幸せになっていくのには限界があるようだ。
そして、与えることによって、喜びを得ることができると、
多くの人が伝えている。
もう少し掘り下げていく。
<得ること>
私たちは生きていくために、食べていく必要がある。
住む場所を確保し、衣服を整えていく必要がある。
より多くの満足を得ようとしたら、
より多くを得ていく必要があったりする。
得ていくことは必要なことであり、
贅沢をしようと思えば、その分余計に得ていく必要があったりする。
しかし、得ていくことばかりに意識が向かっていると、
自分さえ良ければ・・・という発想につながったりすることがある。
周りの人たちとのかかわりを無くすことは
できないのにもかかわらず、
関係を悪化させることもいとわなかったりする。
<与えること>
そう、得ようとするだけになると、
心が貧しくなってしまったりするのだ。
考えてみれば余裕のある分は、与えることができる。
食料であれば、食べきれない分は
放っておけば腐らせてしまうだけになる。
うまく利用すれば、多くの価値を生み出せるものも、
持っているだけで何もしなければ、ただ眠らせてしまうだけになってしまう。
であれば、必要とする人に与えていく可能性を考えてみたい。
与えることで、相手から感謝され、承認される。
放置しておけば、何も起きなかったところに、
喜びと感動が起きたりすることだってある。
<与えたら減るか?>
必要なものを得たら、与える可能性に意識を向けてみたい。
与えると、減るじゃないか!
そう考えてしまうかもしれない。
確かに与えたものは減るかもしれない。
しかし、ときどき、返ってきたりもします。
何かをいただいたら、お返しをしたいと考えたりするもの。
また、困っていたときに助けていただいた人がいるとしたら、
その人が困っていたら、助けたい!と思ったりする。
与えることは、減ることではないかもしれないのだ。
<幸せのために>
得ることは必要だけれど、与えることはもっと必要なことかもしれない。
与えることが、人の生きがいになっていったりする。
ロウソクの炎は、別のロウソクに与えても減りはしない。
物理的なモノは減る可能性があるけれど、
心にともった暖かい炎は、与えても減らないのだ。
もっと与えることに意識を向けても良いかもしれない。