気づきの伝道師 藤井一規です。
自分で変えられることは、変えたければ変えていけばいい。
しかし、変えられないこともあるものです。
どうしていけばよいのか、
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/14485/
この記事の目次
「気に入らないことがあれば、変えてしまえばいい。もしそれが変えられないことならあなたの態度を変えればいい」
by マヤ・アンジェロウ(米の詩人、作家)
変えたいけれど、変えられないものはいっぱいある。
自分の思い通りにならないことだらけだと言ってもいい。
そんなときは、自分自身を変える可能性がある。
もう少し掘り下げていく。
<変える勇気>
変えられるものは、変える可能性がある。
しかし、変えるということにはリスクも伴うもの。
今までの延長線であれば、何が起きるかを想像することができる。
安心が伴っている。
安心から外れることには、抵抗が起きるもの。
しかし、変えることを恐れていると、
致命的な状況になってしまう可能性もある。
宇宙はすべて、何らかの変化をし続けている。
変わっていないように思えても、何かが変わり続けている。
自分の考え方、行動、そして未来は自分で変える可能性がある。
<変えられないと>
変えることができないと、
あるとき、避けようのない事態になってしまう可能性がある。
変えることは、生き残っていくために、
発展を続けていくためには、必要欠くべからずのことなのだ。
生物も、環境が変化し、適応を迫られたときに、
変化できたものだけが生き残ってきた。
これは、私たちも同じこと。
<自分では変えられないとき>
しかし、自分では変えようのないこともある。
たとえば、いくら変えようとしても、他人を変えることはできない。
相手に影響を及ぼす可能性はあるが、
決定的に誰か他人を変えようとしてもその労力は
無駄なものに終わってしまうだろう。
与えられた環境や条件も、
変えられるところもあるかもしれないが、
変えようのないこともたくさんあるはず。
過去や、感情や生理的な反応などもその仲間だろう。
そんなときは、反発したり、抵抗したりするばかりではなく、
自分自身の受け留め方を変える可能性がある。
自分の、こうでなければならない! こうすべきだ!
といった思い込みを修正していく可能性がある。
<自分の縛りに気づこう>
自分では当たり前になっていることが、
実は他の人では当たり前ではないことっていっぱいある。
例えば、知り合った方の家に、約束した時間通りに訪問することが非常識、
なんて習慣の国や地域だってあるそう。
そんなのあり得ないと思っていたことも、
実はあり得るかもしれない。
変えられないものを忌み嫌うのではなく、
変えられないものを受け留め、そのうえでどうしていくかを
考えていく可能性がある。