気づきの伝道師 藤井一規です。
自由、というとなんだか素晴らしいもののように思えます。
しかし、自由を得ることは、同時に責任も背負うことでもあります。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/14513/
この記事の目次
「自由とは責任を意味する。だから、たいていの人間は自由を恐れる」
by バーナード・ショー(アイルランド出身の劇作家、劇評家、音楽評論家、政治家、教育家)
自由とは自分の裁量通りになる、という点では素晴らしい。
しかし、同時にその選択に責任が伴ってくる。
もう少し掘り下げていく。
<不自由>
不自由という状態を考えてみる。
何らかの制限を受けて、選択肢が失われている。
選択肢を奪われるというと、なんだかひどいことのように
思われるかもしれない。
しかしながら、選択の範囲が狭められるということは、
ある意味、楽なことでもある。
選択の余地がないとすれば、
どうするかを考える必要がないからだ。
そして、裁量が小さかったり、狭かったりするということは、
それだけ責任も小さいことになる。
<自由の反意語>
もちろん、思い通りにならないということで、
窮屈な思いを抱いたり、自分らしさを発揮できなくなっていく。
自分らしく生きていくうえでは、
自分の意思で決めていく自由が必要になってくる。
しかし、そこには責任も生じてくる。
選択をすることで、得られるものと失うものとがあり、
得られる素晴らしさと、その分の責任との
両方を手にすることになる。
<安定と変化>
人は、変化や成長、新しいものへの興味と同時に、
安定や安心も求めている。
人にとって、どちらも必要なことなのだ。
自由に生きることに憧れていつつも、
変化を恐れ、安心・安全を求めている。
だから、最悪の事態に備えつつ、とれる範囲のリスクを
取っていくことになっていく。
<自由と束縛を楽しむ>
人は選択肢があまりに多いと、選択できなくなったりする。
ある程度の範囲の中で選ぶことのほうが、
やりやすかったりする。
もし重力からも自由になったら、ふわふわと空中を漂って
不安定になってしまう。
重力があることはひとつの自由を失うことだけれど、
地に足のついた、しっかりした状態を手に入れられる。
どの程度の自由度をもっていくかは、
知識や経験、どこまでリスクをとっていくかで決めていくことになる。
縛りすぎてしまえばつまらなくなってしまうし、
自由過ぎても、不安を伴う。
うまくバランスをとっていきたいもの。