気づきの伝道師 藤井一規です。
悲観的になってしまうことってあるものです。
悲観的になる必要があることもあったりしますが、
その状態から抜け出す方法も知っておきたいもの。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/14555/
この記事の目次
「悲観的になるのは、自分のことばかり考えているから」
by 齋藤茂太(精神科医、作家)
悲観的になっているときは、意識は自分に向かっていることが多い。
このことは、悲観的な状態から抜け出すためのヒントになる。
もう少し掘り下げていく。
<悲観的っていけないのか?>
悲観的な状態にはなってはいけない。
そんな風に思っていたりしないだろうか?
実は悲観的になれることも、生きていくうえでは重要な能力だ。
危機が目の前に迫っているのに、楽観的に考えるばかり、
というのはやはり問題がある。
また、最悪の状態を想定することができたら、
実際にはそれよりマシな状態にしかならない。
耐えることができたりする。
もちろん、何もかもを悲観的に捉えたり、考えてしまったり、
過剰に悲観視する必要はない。
<悲観的になるのは性格か?>
悲観的、楽観的であることは、性格だから、
変えることは難しい、そう考える人は多い。
しかし、普段は楽観的な人も、悲観的な考えに囚われることがある。
悲観的になるのには、考え方のパターンがある。
それを知っておくことは、抜け出すヒントになる。
例えば、「どうせ」だ。
どうせ自分なんて、などは代表格。
取り組んでも無意味だ、無価値だという感覚を持っていることを示している。
「意味がない」「無理」「どうだっていい」といった言葉も
同じような無意味、無価値というニュアンスを持つ。
考え方を変えることは、大きな効果を持つものだ。
使う言葉を変えることは、考えかたにも大きな影響がある。
<意識の方向を考える>
また、物事を明確に捉える人は、悲観的になりにくいと言われる。
物事を複雑にしたり、混沌とした状態のままにしていると、
わけが分からなくなり、どうせ、無理・・・なんてことになりがち。
それから、意識が自分のほうに向かい、
どうしたものか悩見の状態が続いたりすると、悲観的になりやすい。
もちろん、自分に意識が向かうことが悪いことではない。
自分のことをよく知ることは大切なこと。
ただ、混沌としてわけのわからない状態になったまま、
同じところをぐるぐる回ってしまうような状態はさけておきたい。
そんなときは、意識を外に向けてみたい。
<悲観から抜け出す>
自然でも、大切な誰かにでも、意識を向ける対象を定めて、
興味をもって観察してみる、より良い状態のために働きかけてみる。
一生懸命やっていると、不思議に自分の状態も変わっていく。
ひとつのヒントとして、役立ててもいい。