気づきの伝道師 藤井一規です。
正しい道を歩みたいと考える人は多いもの。
しかし、正しい道だけを歩いていて、本当にいいのだろうか?
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「道に迷うことこそ、道を知ることだ」
by 東アフリカのことわざ
道に迷うと、あちこちを行くことになったりする。
その結果、いろいろなところに行くことになる。
その体験は、よく知るための経験になる。
もう少し掘り下げていく。
<正しい道>
多くの人が正しい道を求め、見つからずにうろうろし、
正しい道以外を避けようとしたりする。
しかし、いろいろな道を歩むことで、
様々な経験を積むことができる。
道に迷うことも、道を知ることになる。
特に、誰かに教えてもらった道を歩むだけだとしたら、
どのように道を選んだらよいのか、
決める機会も失ってしまっている。
正しいか、間違っているか、わからなくても
自ら道を選んで、進んでいくことも
とても重要な経験になっていく。
<間違った道>
間違った道を歩めば、何が間違っているのか、
間違ったら何が起きるのかを知る機会になる。
ときに、あたかも正しい道のような顔をした
間違った道だってある。
間違ってみなければ、間違いに気づかない可能性がある。
間違うことも大切な経験になるのだ。
<答えを知りたがる>
どちらかと言えば、私たちはとかく答えを知りたがる傾向にありそうだ。
あれこれと迷い、悩み、考える工程を避け、
インスタントな回答を求めようとしがち。
しかし、あれこれと考え、答えを見つけようとする経験は
貴重なものになる。
人生にあらかじめ定められた正解はない。
どの答えも正解にもなり、間違いにもなる。
誰かが言った正解と思われるようなことも、
他の人からしたら、違うかもしれない。
答えは決まっているものではなく、
決めていくものなのだ。
<答えは決めていくもの>
そう、答えは誰かから与えられるものではなく、
自分で決めていくもの。
そのためには、いろいろな道を歩む経験があったほうが、
決めやすくなっていく。
正しい道だけを歩いていたら、
ちょっとでも歩きにくい道になったら、
歩く気力や体力を失ってしまうかもしれない。
多少のでこぼこ道も、歩き続けるチカラを持っていたいもの。
そして、いろいろな道を進むことで、身につくことはきっと多い。
変な道をあるくというのも、より望ましい道をめざすための
学びとなっていく。