気づきの伝道師 藤井一規です。
勝負は勝たないと意味がない。
そういう言葉もあります。
確かに、勝利して初めて認められるということはある。
金メダルと、銀メダルとでは扱いが大きく違ったりする。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/14650/
この記事の目次
「勝つことがすべてではないよ。勝つために努力することがすべてなんだ」
by ヴィンス・ロンバルディ(米のアメリカンフットボールコーチ)
勝つための努力をしないでいるとしたら、
目指すものを持たないで過ごすことになってしまう。
人は目指すものがあるのと、ないのとでは大違いだ。
もう少し掘り下げていく。
<取り組む理由>
何かに取り組むのに、特に理由はなくてもかまわない。
山に登るのは、そこに山があるからだ。
そんな理由でかまわない。
やるのが、ただ好きだから。
一緒の仲間が素敵だから。
新しい学びがあるから、成長があるから。
それがどんなことであっても、かまわない。
<勝とうとする>
そして、取り組んでいることで誰かと競い、勝とうとすると本気度が上がる。
ただやって楽しいという状態とは違って、
勝つためには、どうしたら勝てるのか?
どこを強化したらよいのか?
どんな鍛錬が必要なのか?
努力の質も変わっていったりする。
そのとき、勝たなければ意味がない、と思っていると、
負けたときには価値がないように捉えてしまうことになる。
勝とうと努力するところに価値があるのだ。
<参加することに意義?>
ところで、今年はオリンピックの年。
オリンピックといえば、「参加することに意義がある」という
クーベルタン男爵の言葉として有名だけれども、
実は、この言葉には続きがある。
「人生において重要なことは、成功することでなく、努力することである。
根本的なことは征服したかどうかにあるのではなく、よく戦ったかどうかにある。
このような教えを広めることによって、いっそう強固な、いっそう激しい、
しかもより慎重にして、より寛大な人間性を作り上げることができる」
単に参加すればよい、という意味ではないのだ。
ちなみにこれは、チェルバート・タルボット司教がアメリカ選手団への説教した言葉を
クーベルタン男爵が引用したものだそう。
<努力しよう>
様々な理由で、勝つことをあきらめてしまっている人は多いかもしれない。
しかし、そのままにしてしまっては、真の成長とはなりにくい。
どうしたら勝てるかを一生懸命考えて、
努力するところに価値があると知り、成長していきたいもの。